関空とコンビニおむすび
「モグモグ、ゴクゴク、プハァ〜やっぱこれやなこれ」
関西国際空港に到着すると、真っ先に立ち寄る場所がある。それは、一階にあるローソン。そこで、おむすびと緑茶を買うのが私の習慣。
大阪行きのバスに乗ったら、買ったばかりのおむすびを口いっぱいに頬張る。ついでに、お茶を一気にのみほすと、疲れはもう、一気に吹き飛ぶ。
海外移住で消えたおむすび
アジアの国で、生活するようになって、もう10年が経った。日本に帰国できるのは、年に1回のみ。
はじめの8年は、タイのバンコク、その後、マレーシアのクアラルンプールに移住して2年がたつ。ともに、日本人にとっては、住みやすい東南アジアの大都会。どちらの国の暮らしも、とても気に入っている。
バンコクも、クアラルンプールも、おいしい日本食がないわけではない。いや、むしろクオリティの高いお店はたくさんある。
日本食に限らず、イタリアンも、スペインも、中華も、ファーストフードもなんでも食べることができるのだ。
それに、現地のごはんも、文句のつけどころがない。屋台やフードコート、そから小洒落たレストランで、ありとあらゆるおいしいものをいつでも口に運ぶことができる。
それでもやはり、帰国直後に口にするあのコンビニのおむすびと緑茶の味には到底、敵わない。
いつもそばにあったおむすび
おむすびを頬張りながら、「なんで、おむすびなんやろ?」とふと思うことがあった。
関空には、海外ではたべることができないダシの効いたうどんも、お値ごろのお寿司も、ラーメンも、カレーもある。家に帰れば、温かいごはんだって食べることだってできる。なのに、おむすびが無性に食べたくなる。
コロナ前に、帰国した時、寝たきりになってしまったおばあちゃんをお見舞いにいった時、その理由が判明した。
京都の山奥に住んでいるおばあちゃんは、もう10年近く、入院している。今年で、100才になる。会うたびに、か細くなっていく姿をみると、今回で会うのが最後だろうなと、覚悟をする。
面会規則もあって、話しできるのは、だいたい30分くらいしかない。短くて、貴重な30分の間は、楽しかった思い出話しをよくする。
おばあちゃんは、私が高校生になるくらいまで、百姓をしていた。毎年、採れたての新米と栗を秋に送ってくれていた。当時は、そのありがたみがこれっぽっちもわからなかったが、今、思えばなんて贅沢な贈り物だったのだろう。
お米の話しをしていたら急に、おばあちゃんが、急におむすびと私の思い出を話しはじめた。
「あつしが、ごはんを食べれるようになった頃、おかあさんと3人で、よく近所のお宮さんに遊びに行ってたんよ。おむすびこしらえて、お宮さんのとこでよう食べてた。あつしは、昔からおむすび好きやったなあ」
記憶にまったくない話しだったが、思い返せば、私の周りにはいつもおむすびがあった。
遠足のお弁当は、いつも、海苔がべったりとくっついたおむすびとおかずだった。それは、高校生になるまで続いた。部活の帰り道もいつも売店でおむすびを買っていた。社会人になってからも、おむすびは欠かせない昼ごはんだった。そう、おむすびはいつもそばにあった。おむすびを食べるのは、幼いころから、続いている習慣だったのだ。
しかしながら、海外に移住してからは、すっかり、おむすびを見なくなった。ましてや、口にする機会もなくなってしまった。
だからこそ、関空に着いたら、貪り食いたくなるほど飢えているのかもしれない。
食べ慣れたものこそ元気の源
先日、久しぶりに帰国した時も、もちろん、おむすびと緑茶を即買いした。
バスの中で、おむすびを頬張りながら、これまで、口にしたおむすびたちを思い出していた。
この世の中には、唸るほどおいしいものは、たくさんある。インスタ映えする映え飯も今や、そこらじゅうで見かける。
しかし、元気の源は、やっぱり、幼い頃からたべつづけているもの。当たり前のように、毎日、そこにあって、食べているもの。そして、映えもしないものなのだなあと、ふと思う。
日本にいるころには、気づきもしなかったし、感謝さえもすることがなかった、おむすびという目立たないが、パワフルな存在。
これまでも、これからもずっと、私の身体と心に活力を与えてくれる食べ物であることに間違いはない。