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大嫌いなはずだったタイランド

こんな国、2度とくるもんか。

飛行機の窓から見えるバンコク市内の景色を眺めながら、わたしは、強く確信した。

トランジットで2日間立ち寄っただけなのに、史上最悪の印象をわたしに植えつけたバンコク。はやく立ち去りたくて仕方がなかった。


大学一年生の夏休み、わたしは、友人とベトナムはホーチミンを訪れた。当時、関空からホーチミンの直行便がなかったため、タイのバンコク帰りに2泊したのだった。

ホーチミンの旅は、とても素晴らしかった。現地で日本語教師をしているゼミの先輩が案内してくれたことも手伝ってか、いい記憶のみが脳裏をかすめる。

屋台で食べた空芯菜の炒め物、生春巻きに、カエルの唐揚げ、何を食べてもおいしいのオンパレード。

街の人もやさしくて、道に迷えば、すぐに案内してくれるのであった。わたしたちは、すっかりベトナムのファンになってしまった。

またいつかベトナムに遊びにきたい。目下にひろがるメコンデルタをながめながら、次回の旅を妄想していた。

そして、やってきたのは、タイのバンコク。初日から印象のわるい出来事がつづくのである。

まず、ホテルの近くにある食堂で食べたヌードルが臭くて、ぬるくて口にすることもできなかった。ホーチミンではあれだけ美味しくいただけたはずの魚醤。

バンコクのそれは、臭くて吐き気をもよおすほどの悪臭だった。すぐに箸を置いて、食べるのをやめてしまった。

となりで、黙々と食べる友人をみながら、こいつはどうなっているんだと疑いの目をむけてしまった。

セブンイレブンで買った菓子パンも、食べ慣れないココナッツの甘ったるい味で、かじりかけのままそのまま放置してしまった。

翌朝、気を取り直して、観光にでかけた。しかし、そこでも最悪な出来事が待ち受けていた。

王宮の近くを歩いていると、トゥクトゥクの運転手に声をかけられた。1時間チャーターすれば、観光名所を案内してくれるという。

何も知らない無垢な大学生であるわたしたちは、その言葉を信じて、400バーツで1時間チャーターすることになった。

観光名所である暁の寺

ところがどっこいである。

王宮や涅槃寺、暁の寺、といった観光名所ではなく、観光客相手の詐欺まがいの宝石屋とハッピー仏陀と呼ばれる名もなき寺に連れて行かれ、挙げ句の果てには、よくわからない場所に置き去りにされた。

途方にくれるしかなかった。

なんとか、タクシーを拾ってホテルに戻ったものの、初めてのバンコクは、後味の悪いものとなった。


帰国後、わたしは、ベトナムに留学するための準備をひそかに始めようとしていた。バンコクとちがって、よい思い出がつまったホーチミンの大学へ一年留学しようと考えていたのだ。

ベトナム語が学べる大阪の語学学校をさがしはじめていた。しかし、さがしても、さがしても出てくるのは、タイ語ばかり。ベトナム語はいっさい見当たらない。

神様は、わたしに一体なにを伝えたいのだろうか。

さらに何を血迷ったのか、こともあろうに、タイ語体験教室に申し込んでしまったのである。そのまま、無断でキャンセルしようと思ったが、語学学校から確認の電話がかかってきてしまい断るに断われず参加することになってしまった。

結局、わたしは興味もないタイ語教室に足を運ぶことになった。

クラスメイトは、同じ年の女子大生、タイポップスにはまったサラリーマンのおじさん、バンコクで美容室を引く予定の美容師、そして、タイ人の彼女がいるバックパッカーのお兄さん。なかなか個性的なメンバーである。

みんなタイが大好きらしく、タイのことについていろいろ教えてくれた。わたしが体験したことを話すとみんな笑い転げていた。そんな絵に描いたような詐欺に出会った奴に会ったことはない、と。

タイ人の先生も、それは運がわるかったね、また、タイに行くといいよと、歯に噛んでいた。

そんなにタイはいいところなのか?

急にタイという国が気になりだした。あれだけ、最悪の出会いだったはずなのに。

そして、いつのまにか語学学校に申し込んでいたのである。その日から、わたしは深くタイと関わってゆくことになる。

休暇の度に、タイを訪れるようになり、四年生になる年にチェンマイ大学へ留学をした。さらに社会人になって8年間バンコクに駐在も経験した。

第一印象がわるい人に限って、後々、仲良くなることがある。ああ、まさにわたしにとって、タイはそんな関係である。

一方、あれだけ惚れ込んでいたベトナムとは、すっかり縁も遠くなってしまった。人生の巡り合わせとはわからないものである。

大嫌いなはずだったタイランド。

わたしの人生に欠かすことのできない第二の故郷になるなんて。

#忘れられない旅

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