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私たちは、なんのために食べるのか?インドのカレーから学んだこと

ほんのりとスパイスの香りが漂う食堂

わたしは、さつま芋のカレーとチャパティを目の前にして座っている

お腹を空かせたわたしは、ゴクンと唾をのみこんで、日々の食事のあり方について考えていた

ここはインド、リシケシにあるヨーガニケタンのアシュラム、すなわちヨガの道場

私は、定期的にここにやってきて1週間ほど滞在する。目的は、日々の暮らしの見直し、そしてカレーである

リシケシのヨーガニケタンアシュラム

栄養と消化優先。アシュラムの食事

アシュラムの1日は、鐘の音とともに、はじまる。眠気眼を擦りながら、朝6時からはじまる瞑想のクラスを受ける。

ここの瞑想は、説法を聴いて、生活態度をふりかえり、日常をよりよく、どう過ごすかを考えるものだ

その後、心肺機能や筋肉を鍛える運動と呼吸法を行う。柔軟性に着目するヨガスタジオのストレッチとはちがうのが特徴だ

ここでのヨガの目的は、リラックスでも、ストレッチでもない。危険な山道を1日、数十キロ歩く行者が、スタミナと筋力、そして、実践できる知恵を身につけるのが目的だ

行者の修行場のひとつカイラス山

がっつり、動いたあとは、お腹もペコペコ。9時を過ぎようとしたところで、おまちかねの朝食だ。

今日の朝食は、ポハとバナナと紅茶

ポハとは、お米を潰して乾燥させた食材のこと。野菜と一緒に、チャーハンのごとく油でいためて、クミンと塩で味つけする

一見、味気ないように見えるが、塩気が効いた香ばしいピーナッツをパラパラかけてたべると、満足度がたかまる

ポハとバナナとあまい紅茶

アシュラムの食事は、不殺生の観点から肉類、ニンニク、タマネギ、唐辛子など、クセの強い食材は使われない

さらに、消化を重視するので、どの食事も軽い

未消化物が肉体に停滞すると病気の原因にもなる上に、集中力も欠くので修行の妨げにもというのが理由だ

そして、極め付けは、搾りたての牛乳。この牛乳にも、意味がある

タンパク質の補給だ

食事だけでは十分な、タンパク質を取り入れることができない。巡礼にしろ、修行にしろ、歩きつづけるために必要な筋力を養うには、牛乳からタンパク質を取り入れる必要がある

口にするひとつひとつが、すべてヨガの修行のためにあるという徹底ぶりだ

準備や片付けも修行のうち

午後の休憩時間は、たまっていた仕事を片づけてから、ガンジス川沿いを散歩し、チャイ屋で過ごす

鞄に入っていたビスコをお供に

午後は、哲学の講義。今日は、バガヴァットギータ。マハーバーラタというインド二大叙事詩の一節で、定められた運命を、どう受け入れ、どう生きてゆくかを学ぶ時間。あらたな視点で世界を見ることができるので、わたしのお気に入りの時間だ

その後は、また、心肺機能と筋力を鍛える運動と呼吸法。ヒンドゥースクワットをしながら、お腹がグゥグゥと鳴り響く

お待ちかねの夕食の前は、みんなで、食事の準備をする。アシュラムでは、食事を準備すること、食べること、そして片づけることもヨガの修行のひとつになっている

アシュラムの食堂

食事の準備や片付けは、カルマヨガといって奉仕活動の一環とされている。他にも、アシュラム内を清掃したり、壊れている場所を修繕したり、切れた電球を変えたり、今、自分ができること、与えられたことに従事する

ポピーとじゃれながら準備

準備の最中に、犬と戯れながら、食堂のおじさんと立ち話をする

『きみはどんな仕事をしてるんだ? わたしはここで、30年以上、食事をつくっている。食事をみんなのためにつくるのが、わたしのカルマヨガ、神様から与えられた仕事なんだ』

そういう考え方もあるのか。仕事を自ら選ぶ風潮が今の日本では主流だが、仕事は神から与えられるもの、というのは考えたことはなかった

わたしにとって、与えられた仕事とはなんなのだろう?配膳の準備をしながら、考えてみる

今夜は、さつま芋のカレーと豆のカレー
これはうまそうだなと、まじまじとみる

さつま芋と豆のカレー

なんのために食事をするのか?

みんなのカレーをとりわけたら、夕食の時間。アシュラムの食事は、軽いのですぐに消化してしまうので、食事の時間がほんとうに待ち遠しい

今すぐにでも、がっつきたい気分ではあるが、アシュラムでは、食事の前にお祈りがあるので、少し我慢

昼間に勉強したバガヴァットギータには、食事について解説されている節があり、それを食事前に唱える

食物をはじめ、それを食べる私たち、食べる行為、食べものを消化する器官、すべてが神そのものである。神にささげる行為に専心する者は、神そのものに到達できる

バガヴァットギータ4章24節(意訳)

食堂のおじさんの言葉が頭にうかぶ

彼にとって、食事を作ることが神から与えられた仕事。それは、神にささげる行為そのもの

あ、そっか

特別な何かを思い浮かべていたが、今、従事している仕事こそ与えられたものなのだ。その仕事に、専心すること。嫌だの、辞めたいだの言ってる場合ではない

そして、食事は、その与えられた仕事を全うするために必要な、体力や気力、活力を養うためのもの。仕事のストレスの吐け口として、味覚を刺激するおいしいものを食べることではないのだ

この気づきが、日々の食事を考え直すきっかけを与えてくれた

ガンジス川のほとり
夕暮れのガンジス川

アシュラムでの日々を終え、日常生活に戻った

相変わらず仕事は忙しく、ストレスに晒される日々。ストレスを誤魔化すために、ついつい、刺激の強いものや気軽に食べられるファーストフードを食べたくなってしまう。しかも、手に入りやすいから困ったものだ

そんな時、アシュラムのカレーを思い出す

なんのためにこれを食べるのか?

ストレス解消のためか?肉体の栄養のためか?コミュニケーションの一環なのか?

一息ついて考えみれば、これまで、条件反射で口にしていた食べもののいくつかは、必ずしも、必要ではないことに気づく

なんのために食べるのか?
意識するだけで、変わるものがあるかもしれない

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