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旅の記:2023年4月のツアー⑤洞雲寺(広島県廿日市市)

【旅の記:2023年4月のツアー⑤洞雲寺】

山口から広島への移動にて廿日市市にある曹洞宗の寺院・洞雲寺に寄りました。山号を応龍山、ご本尊は釈迦如来です。

1487年厳島神社神主・藤原教親を開祖として金岡用兼(きんこうようけん)によって創建されたという。

こちらには厳島の戦いで毛利元就に敗れた陶晴賢のお墓があります。
大内義孝の重臣だった晴賢(当時は隆房)は、尼子攻めで大敗し寵愛していた養子・晴持を失って、軍事jに興味を持たなくなってしまた義隆を見限り謀反、実権を握るが、勢力を拡大する毛利と衝突、最終的には厳島にて大敗し、逃走中に自害した。

義隆の寵童であった晴隆は、文治派の相良武任に主人の愛が移ったことに嫉妬して謀反を起こした、なんて話もあります。大内義隆のまわりはこういったボーイズラブ的な逸話が多いですね。。

遺骸は桜尾城で首実検され当寺に葬られたとされる。

山門


本堂
陶晴賢の墓
毛利元清。元就の4男。側室の子として元就からは隆元・元春・隆景兄弟とは明確に分けた扱いだったという。余計な争いが起こらないようにという配慮でしょう。
厳島合戦で陶晴賢と戦い、桜尾城主となった桂基澄と夫人の墓
他、厳島神社神主家藤原氏のお墓もあるそうです。


桜尾城跡は公園になっていました。


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