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旅の記:2023年10月のツアー㉑西光寺・達谷窟毘沙門堂(岩手県平泉町)

【旅の記:2023年10月のツアー㉑西光寺・達谷窟毘沙門堂】

昔々、悪路王という蝦夷が窟を拠点として、良民を苦しめ、女子供を誘拐するなどの乱暴を働いていたため、桓武天皇は坂上田村麻呂を派遣し、これを征伐させた。延暦20年(801年)田村麻呂は窟に籠った悪路王の軍勢を激戦の末打ち破り、悪路王らの首を刎ね、平定を成し遂げた。田村麻呂は、戦勝は毘沙門天のご加護として、百八体の毘沙門天を祀る精舎を建てて、窟毘沙門堂(窟堂)と名付けた。そのお堂がここ達谷毘沙門堂だそうで、翌延暦21年(802年)に別当寺として達谷西光寺が創建創建された。
前九年・後三年の役には源頼義・義家父子が戦勝祈願をして、寺領を寄進。奥州藤原氏初代清衡・2代基衡が七堂伽藍を建立したと伝わる。また文治5年(1189年)に源頼朝が奥州合戦の跡にお堂に立ち寄ったことが「吾妻鏡」に記されている。
戦国時代に火災、兵火によって度々焼失したが、慶長20年(1615年)伊達政宗により毘沙門堂が再建された。
しかし昭和21年(1946年)隣家から出火、ご本尊以下二十数体を救い出すも、毘沙門堂は全焼したそうです。昭和36年(1961年)に創建以来5代目のお堂が再建され、慶長20年に伊達家から寄進されたという厨子を安置して、円仁作と伝わる毘沙門天・吉祥天・善膩師童子を秘仏として納めている。

鳥居があって、神仏習合の寺社です。
毘沙門堂
岩面大佛。真ん中少し上に顔っぽい箇所があるのが分かるでしょうか?源義家が前九年・後三年の役で亡くなった敵味方の霊を供養するために馬上から弓張をもって彫り付けたという伝承があるそうです。
円仁創建の蝦蟆ヶ池(がまがいけ)辨天堂。池からは平安末期の土器が大量に発見されたそうです。昭和46年(1961年)に再建されたが、手狭だったため平成25年(2013年)に修復されている。弁天さんあるあるですが、男女カップルでお参りするのはNGとされています。
不動堂、は修復中でした。
慶長20年(1615年)建立と伝わる鐘楼。鐘は昭和19年(1944年)に戦時供出となり、昭和58年(1983年)に新調。
金堂。昭和62年(1987年)再建。



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