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旅の記:2023年8月のツアー③仙台城・宮城縣護国神社(宮城県仙台市)

【旅の記:2023年8月のツアー③仙台城・宮城縣護国神社】

仙台城、通称・青葉城は慶長5年(1600年)関ケ原の戦い後、伊達政宗自身が青葉山に登り縄張りをして築城がはじまった。仙台伊達藩62万石という大藩にふさわしい大規模なお城で、完成したのは二代藩忠宗の時代。本丸と西の丸からなる山城で、日本に漂流し仙台に来たスペインの冒険家セバスティアン・ビスカイノは「日本の最も優れ、最も堅固なるもの」と称賛した。
しかし、本丸への往来が不便であったため、寛永15年(1638年)忠宗は広瀬川沿いの平坦な地に二の丸を造営して、居所を移した。これにより本丸はあまり使われなくなり、二の丸が城の中枢となった。江戸時代は火災・地震などで被害を受けるが、その都度再建された。
戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の盟主となるが、仙台が戦場になることはなく、その役目を終えた。
維新後の明治4年(1871年)に東北鎮台が城を本営として駐屯。この時に本丸は破却された。残っていた大手門と脇櫓は昭和6年(1931年)に国宝に指定されるが昭和20年(1945年)仙台空襲によって大手門、脇櫓を含む建築物はすべて焼失した。戦後、二の丸は一時アメリカ軍のキャンプになっていた。
現在本丸跡には明治37年(1904年)に建立された招魂社が宮城縣護国神社と改称して鎮座しています。

駐車場から
宮城縣護国神社正面大鳥居。まずはお参りしてから。
仙台城遺構。本丸大広間跡。
上段の間跡
伊達政宗騎馬像。2022年3月の地震で傾いてしまったそうですが、復活していました。
本丸から
「荒城の月」を作詞した土井晩翠。明治4年生まれ、仙台出身の詩人・英文学者。





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