旅の記:2023年6月のツアー⑪本蓮寺<森山多吉郎の墓>(長崎県長崎市)
【旅の記:2023年6月のツアー⑪本蓮寺・森山多吉郎の墓】
山口県から長崎へ移動。ライブの前に歴史探訪です。時間の関係で長崎は一か所のみ。本蓮寺は日蓮宗の寺院で山号は聖林山、加藤清正の発願だそうです。皓台寺・大音寺と共に長崎三大寺の一つです。
もとは日本最初のハンセン氏病の病院・サンラザロ病院が大村藩主・大村純忠によって建てられ、それに併設されたサンジョアン・パウチスタ教会があった場所で、慶長19年(1614年)に禁教令によって破却された後1620年(元和元年)に本瑞院日恵を開山として当寺は建てられた。加藤清正の母の法号より二字もらって「聖林山」という山号になったという。
また清正がお題目に因んで建てた五ケ寺の一つ(熊本本妙寺・大分鶴崎法心寺・長崎に本蓮寺・水俣に法華寺・大村に本経寺)
幕末には勝海舟が長崎海軍伝習所の頭役を務めた際に寓居した。昭和20年(1945年)、原爆によって全山焼失、昭和29年(1954年)に本堂が再建された。
今回こちらを訪れたのは森山多吉郎さんのお墓詣りということがあります。多吉郎は長崎のオランダ通詞の家に生まれ、英語も話せたことから、(偽装)漂着したアメリカ捕鯨船船員ラナルド・マクドナルドの取り調べに当たり、本物の英語を学んだことで、嘉永6年(1853年)プチャーチン来航、嘉永7年(1854年)ペリー来航の際に通訳を務めた。英語はもともとオランダ人から学んでいたそうで、発音はネイティブとは全然違く、ベリーが来た時に最初に折衝にあたった中島三郎助の通訳にあたった堀達之介の英語はほとんど通じなかったそうです。。多吉郎はマクドナルドと出会うことで、そのことを知り、学び、その習得能力はマクドナルドを驚かせた。
多吉郎は小石川の自宅に塾を開き、津田仙、福地源一郎など後に各方面で活躍する人材を門下生にしている。また福沢諭吉も短期間だが、彼に学んだ。
文久2年(1862年)に開港延期問題で渡欧していた武内保徳遣欧使節団にロンドンで合流、通訳として各国を巡った。通弁役頭取、外国奉行支配調役などを歴任し、万延元年(1860年)には大統領への英文書作成にもたずさわるなど、活躍したが、維新後新政府には仕えることはなかったそうです。
またオランダ地図に日露国境が北緯50度となっていることを発見したのも多吉郎で、これが対露国境の根拠となった。
あまり知られていない多吉郎ですが、自分も英語関係の仕事をしていたこともあり、また吉村昭さんの「海の祭礼」の主人公でもあり、お墓参りをさせていただきました。
多吉郎のお墓は急な階段を上る場所にありましたが、住職さんが案内してくれました。ありがとうございます。龍馬の脱藩仲間・沢村惣之丞のお墓がさらに上にあるそうですが、また次回に。
NHK大河「龍馬伝」で惣之丞役を演じた要潤さんがいらしたそうです。