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旅の記:2023年7月のツアー③長国寺<真田家菩提寺>(長野県長野市)

【旅の記:2023年7月のツアー③長国寺】

長野でのライブを終えて、次の高岡まで2日空いてしまったので、長野周辺をいろいろと巡ってみました。
まずは長野は松代にある長国寺。曹洞宗の寺院で、山号は真田山。そう、真田家の菩提寺です。真田と言えば信濃国小県真田の豪族ですが、慶長5年(1600年)関ケ原の時に真田昌幸と次男信繁は西軍、長兄信之はは東軍に与して家の存続をはかります。ご存じの通り東軍の勝利となり、信繁が上田藩主となる。慶長19年(1614年)の大阪の陣で、信之は病気で出陣できなかったが、息子たちが代わりに出陣、その功により元和8年(1622年)信濃松代に加増移封された。その際、真田にあった長谷寺の住職を開山として、松代に長国寺を建立した。(長谷寺は長光寺の末寺となる)
当初は堂宇伽藍が立ち並ぶ大きな寺院でしたが、享保2年(1717年)の大火、寛保2年(1742年)の大洪水で本堂が大破するなとしたが、文化7年(1810年)に復元される。しかし、明治5年(1872年)に本堂から出火して、寺宝・経巻・文書のほとんどを失ってしまう。現在の本堂は明治19年の再建だそうです。

総門
本堂
総門 ご本堂 初代信之の霊屋(重文)。万治3年81660年)の建立とされる。本堂などからは離れて建っているため、火災の災害を免れた。
壮麗な廟でした。お寺の方が案内してくれて、中も拝見させていただきました。
信之御霊屋の南側には四代信弘の御霊屋。建立は元文元年(1736年)。初代に比べんると簡素ですね。現在は歴代藩主夫人らの位牌が安置されている。
真田家墓所。信之にはじまる十代藩主の墓と、信之の祖父幸隆とその息子信綱、父昌幸、弟の信繁(幸村)とその子幸昌の供養塔がある。信之姉の村松殿の墓は夫小山田茂誠と並んでいます。
初代信之の墓
信繁(幸村)父子の供養碑

信之御霊屋を案内していただいてるときにゲリラ豪雨に見舞われ、わざわざ傘を取りに行ってくれたお寺の方に感謝です。曇りでしたが豪雨の後は太陽がのぞき、御霊屋も本堂もまた違った顔を見せてくれました。

雨に洗われる御霊屋
溜まった雨水に映る本堂

他にも三代幸道の御霊屋として建てられた開山堂など見どころたくさんです。真田の長谷寺を訪れた時、いつか長国寺にも!と思っていましたが、ついに来れました。

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