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旅の記:2023年9月のツアー〘53〙和気神社(岡山県和気郡和気町)

【旅の記:2023年9月のツアー〘53〙和気神社】

和気氏の遠祖である鐸石別命(ぬでしわけのみこと)を祀った神社で、創建は不詳ながら、天正19年(1591年)に社殿が水害に遭って現在の地に移ったということですから、それ以前からあったのでしょう。
明治42年(1909年)に鐸石別命のひ孫にあたる弟彦王(おとひこおう)と和気清麻呂、和気広虫も祭神に加えられ、また国造神社に祀られていた神々も合祀された。
天正3年(1914年)和気神社と復称。大正8年(1919年)に応神天皇を相殿に祀る。

指写り込み。。
和気清麻呂公像
和気清麻呂さんといえば猪。
天皇になれなかった道鏡が、配流されていく清麻呂の脚の腱を切って歩けなくさせ、さらに刺客を放った。清麻呂は宇佐八幡宮に立ち寄ることにするが、一行が豊前国につくと、どこからか3百頭ものイノシシが現れ、清麻呂の輿を取り囲み、刺客たちから護りながら、宇佐八幡宮まで案内してくれたという。参拝が終わると、イノシシたちはいつの間にかいなくなり、清麻呂の足の痛みもなくなっていて、再び歩けるようになったそうです。というわけで、清麻呂を祀る神社は必ずイノシシがいらっしゃいますし、足の健康の御利益があるとされているのです。
こちらにも和気清麻呂公。
そして姉の広虫さん。広虫は日本最初の孤児院を開設したとされ、安産(子供の守り神)としても敬われている。また宮司は小森家で、清麻呂の末裔とされるが、広虫の孤児を育てたということにちなんで、孝明天皇が「小森(子守)」姓を与えたという。
拝殿。社殿は明治18年(1885年)から順次立て替えられ、宮大工・田淵勝義が建築した一連の社殿は、和気町指定文化財になっている。
ご本殿、、は改修中でした。
撫で猪

最後に“伝”ではありますが和気清麻呂公墓所へ。和気神社から西へ7㎞ほど、赤磐市松木にあり、清麻呂の分骨が埋葬されたと伝わる。
ちなみに正式な墓所は京都神護寺の境内にあるとのことです。ここ松木が出生地であり、官を辞した後、故郷に戻って亡くなったという話もあるそうです。

2基の宝篋印塔があり、左側が清麻呂、右のちいさいのが広虫のものとされるそうです。塔は江戸時代前期の作とされる。




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