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旅の記:2023年4月のツアー㉖粉河寺(和歌山県紀の川市)
【旅の記:2023年4月のツアー㉖粉河寺】
粉河寺は千手千眼観世音菩薩を本尊とする小河観音衆の総本山で、山号は風猛山。奈良時代末期、宝亀元年(770年)の開創。
紀伊国那賀郡に住む漁師大友孔子古はいつものように狩りをしていたが、ある晩、光り輝く土地を見つけ、その場所に庵を建てた。ある日孔子古の家に一人の童子が訪ね、一晩泊めた。童子はお礼にと7日かけて庵にこもり千手観音を刻んで立ち去ったという。孔子古は殺生をやめて、観音様を信仰するようになった。というわけで、創建は猟師さんなんですね。
時は移り、河内国の長者佐太夫の娘が長く患っていたところ、童行者が訪ねてきて祈祷をすと娘は回復した。高価なお礼をしよとすると断り、娘がささげたさげさや(お箸箱)と袴のみを手にして「紀伊国那賀郡粉河のものだ」と告げて立ち去った。
翌年春、長者一家は小河を訪れると、流れる水がとぎ汁のように白い川があり、小河の証であるとして、さかのぼると庵を発見した。扉を開けると、千手観音が安置されていて、娘が差し出した下げさやと袴を持っていたので、あの童行者は千手観音の化身であったと知った。この話はお寺に所蔵されている粉河寺縁起絵巻(国宝)に伝えられている。
平安時代には清少納言『枕草子』や西行『山家集』など多くの物語や歌集、今様に言及があるほど有名であった。鎌倉時代には天台宗の寺院として根来寺や金剛峯寺と並ぶ大寺院であった。
しかし戦国時代も末期、羽柴秀吉の紀州征伐の際に、根来寺や雑賀衆と共に抵抗したが、全山焼失して、防衛用として築いていた猿岡山城も陥落していまう。
江戸時代は紀州藩徳川家の庇護と信徒の寄付を受けてを受けて堂宇を再建した。
太平洋戦争後に、天台宗から独立し粉河観音宗の総本山となる。
紀州征伐に雑賀衆、根来寺が抵抗したことは有名ですが、粉河寺もまた激しく戦ったのですね。広大な寺領を持つため、僧兵らによる自衛の軍を持っていたのでしょう。
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他、多くのお堂があります。とても広い重厚感のあるお寺でした。
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