旅の記:2023年9月のツアー㊻中山神社<美作国一宮>(岡山県津山市)
【旅の記:2023年9月のツアー㊻中山神社】
ライブの次の日、友人のライブを観に行ったので、その前に岡山の友人と津山へ。まったく旅程になかったのですが、お城がありますよ!ってことで、そしたら少し調べて、行ってみようということで、まずは美作国一宮である山中神社へ。この辺りは美作というんですね。
社殿によれば、慶雲4年(707年)伽多野部長者乙丸という人が、祀っていたオオクニヌシを祀る宮所を中山神に譲ったことが起源だという。実際には和銅6年(713年)に美作国が備前の国から分立した際に、吉備中山から勧請を受けたものと推測される。
ご祭神は鏡作神(かがみつくりのかみ)で、アマテラスが岩戸隠れした際に八咫鏡を創ったという相殿に祀られた石凝姥神(いしこりどめ)のお神業を称えた名のとされ、相殿のもう一柱・天糠戸神(あめのぬかとのかみ)も石凝姥神(いしこりどめ)の父で鏡の神様です。しかし、記録によってオオクニヌシとも吉備津彦(きびつひこのみこと)、金山彦神(かなやまひこのかみ)ともされ、いろいろな説があるようです。
国史では貞観2年(860年)に神階が与えられた記事があり、中世頃には美作国の一宮として崇敬された。天文2年(1533年)摂社末社は112社を数えたが、尼子晴久が境内にいた敵を攻略さるために火を放ったため、社殿は焼失。晴久が美作を平定すると永禄2年(1559年)に晴久自身によって再建された。
今回は行けませんでしたが、境内後方に猿神社という社が岩の上にあるそうです。猿田彦として祀られていますが、『今昔物語』には:中山の猿神に娘を生贄として捧げていたが、ある漁師が犬を訓練して、この猿を殺した。その時に猿神が宮司に神がかり「もう生贄はいらない」と誓った、というお話があるそうです。中山神社の御祭神もこの猿神とする文献もあるようです。