人生で大切なことって、自己中になって初めて見えるものもある
もし、何か始めたいことがあるけど、さまざまな理由で躊躇(ちゅうちょ)している人の後押しになればと思って文章を書きます。
学生時代は、どの科目もまんべんなくできる子が有利になっています。
しかし、本来はその人にはその人にしかできないことがあり、どれもなんとなくできるのもいいけど、何か一つや二つ特にできるというのも素敵なはずです。ところが世の中の仕組みによって、それが消されてきました。
私自身は新卒でSEになって、3年働いたのち、学科を変えて大学院に進み、8年機器メーカーでエンジニアやって、塾を起業して11年、同時に大学での講師もやっています。結婚して家族もいますが関係ありません。臆病にもかかわらず、思い立ったら、誰がなんといってもやってきました。博打ではないですから、丁寧に進めていけば、そうそう、大きな失敗にはなりません。
そんな中で得たことを伝えていきます。
まず、「何か始めたい」と思えることがあるだけで、それは大きな宝物を持っていると言えます。もちろん、それを始めるために、これがない、あれがない、だからできない、という理由があったとしてもです。
「何かを始めたい」というのは自分を変えることと言えます。人は脱皮はしないけど、気持ちの上では常に脱皮し続けることができる生き物だと思います。
もちろん、ほとんど、脱皮をしないで、凝り固まってしまっている人もいます。それはそれでいいと思います。いろいろな選択があります。
まず、何かを始めることで失うものってあるんでしょうか?
雇用される立場でしか働いてきたことのない人にとっては、「起業」なんてとんでもないことだ、と思うのかもしれません。もしくは、そんなことは大したことがないと思っているかもしれませんね。
別に会社を辞めることがエライことでも、すごいことでもありません。何かを始めるということにおいて、会社を辞める必要があるのならばやめればいいだけの話です。別に辞めなくても続けることができれば続けていけばいいと思います。
合理的に考えていくことも大切です。
失敗したっていいじゃないですか。
一生なんて、一度しかないんです。
自分にとって大切なものが、他人にとって大切である必要はありません。
誰かにどう思われるために、何をしよう、とするものではないです。
自分が「これをやってみたい」と思う「好奇心」は子供の時、みんな持っていたはずです。
小さい子を見ていれば、「なぜ?」「なぜ?」とたくさんの質問をします。
その「好奇心」が人を進歩させてきたとも言えます。
何かをやりたい、やってみたいということは、仕事をやめるとか、副業とか、別に大きいか小さいか、仕事に関わるか、関わらないか、どちらでもいい話です。
お金持ちだろうと、貧乏だろうと、安定した仕事だろうと、安定していない仕事だろうと、自分が選びたい道を選べばいいだけの話です。
世の中では「あるべき幸せ像」が刷り込まれます。その刷り込みは、テレビだったり、映画だったり、いろいろな形から入ってきます。
「親ガチャ」なんて言葉が生まれるのも、「あるべき幸せ像」があるからでしょう。SSRとか、Aとか知りませんけど、少なくとも、この記事を読める環境にある人は、既に時代的、世の中的には「SSR」だと言えるでしょう。
戦時中でもなく、日本語を読める環境にあり、スマホやPCを見ることのできる環境があるという人ですから。
隣の芝生は青いんです。
それは仕方ないです。
世の中には苦労している時代があったから、不幸な人がいるから頑張りましょう、とはいいません。
ただ、何かのご縁でこの世の中に生まれてきたわけですから、世の中を楽しんだ方がいいですよ、ということです。
その楽しみ方の一つに、「これをやってみたい」ということなのでしょう。
もちろん、同じ意味に、「これをやりたくない」ということもあります。
逆に見えますが、どちらもその人のウォンツという意味では同じです。
やりたいことだけやって生きることもできないし、やりたくないことだけやって生きることもできません。
大事なことは、生きている時間の中の「やりたいこと」の比率を高められるといいですね、ということです。
死ぬ間際になって、「あれをやっておけばよかったな」という後悔だけは残さないよう、常に自分の中にやり残しはないか考えていくといいかと思います。
人生において大切なことは、大成したかどうかではありません。
自分が満足した人生を送ることができたかどうかです。
本当の意味で、自己満足だけで満足する人って少ないんじゃないかなと思っています。
みんな、誰かに喜んでもらえることがうれしいという気持ちをもっているんじゃないかなと思っています。
そういう考えだと、小さくダマされたりもしますけど、それでもいいかなと思っています。