「いや、〇〇というわけではないのだけど」という時にはそれが本心
普段、塾を経営する中で多くの保護者の方と話したりする機会もあります。
大人は特に嘘をつくとはいつも感じます。
子供たちの方が何倍も正直です。
嘘をつく子供はその親のマネをしているのでしょう。
あるウチの生徒の話です。とても心がピュアな子で、その子なりに一生懸命いろいろなことを頑張っている子がいました。
子供も、塾に通うのが好きで来ていました。
ただ、その子は、大人の基準だと「〇〇障害」などと名前をつけられています。私はその名前をつけて区別する大人の方がよほど「障害」だと思っています。理解するために使うのであればいいのですが。
その子が自営業をしている家のお金を盗みました。
その前にも、親の財布からお金を盗んだこともありました。
その子からすれば家のお金は使ってもいいという感覚です。
親としてはそれが許せなかったらしく、子どものものや場所は全て奪ってやろうという悪意を感じました。
それで、塾を辞めさせると。
今までも何人もいました。
子供の成績だとか行動だとか理由つけて、親の言うことを聞かない子供には罰を与えてやろうという親たち。
でも、親はこう言います。
「いえ、お金を盗んだから罰として辞めさせるんじゃないんです」
このセリフを聞いたとき、「罰をあたえるのがこの人の本心だ」と感じました。(親はそう思われたらまずいから否定するのです)
そういった親は体罰や恫喝することなど恐怖でおさえつけていたりします。
もちろん、家のお金を盗むことはまずいことでしょう。
その子の話やその子の考えも聞かずに脅して同調させるのです。
今でも、公立中学校などではそのようなことが行われています。
まず、その子の目線に立つこと。
その子の話を聞くこと。
決してわかることはできないけど、なんとか理解してみようとすること。
自殺が増えたのは、コロナで登校しなくなったからだなどともいいます。
そんなわけはありません。
大半の子はむしろ登校しなくなったことで、のびのびしていました。
自殺する子は、その子に寄り添う大人がいなかったからです。
学校の先生たちは、コロナで仕事が大してないのに同じ給料をもらっていたわけですから、そういう子供たちがいないか、総動員してそういう子と会って話を聞いたりするべきでした。
今、不登校の子たちが増えてきています。
それは、学校の仕組み自体が、明治時代から変わっていないからです。
令和の子からすれば、おかしいと思うことが多いから行かない子が多いのです。
私も残念ながら、この矛盾だらけの世の中を構成している大人の一人ではあります。
でもせめて、自分の接する子供たちのことを否定せず接していきたいなと思います。
「この子の考え面白いぞ、どういうことだろう」って。