どうしようもないことで悩むのが人間
どうしようもないことで悩むのが人間
どうしようもないことで悩むのが人間。
どうしようもないことで怒るのが人間。
どうしようもないことに向き合うのも人間。
私たちは「どうしようもないこと」と「自分で変えられること」を見分けることができる。
遅くてもいい
遅くてもいいんです。
速さなんてのは人と比べてわかるただの基準なのだから。
それに
最初から色々気付けるわけがない。
一人一人が違う人生を背負っていて違う目的がある。
どれだけ近くにいようがいまいが目的がぶつかる壁が同じな人はいない。
そして
色々あるのが当たり前。
気づくスピードも人それぞれ。
向き合う壁も人それぞれ。
頭がいいとかそうじゃないとか関係ない。
本来気がついていない人に対して怒る必要もない。
他人が気になるのも普通。
自分ができているからこそできていない人を見るとイライラしたりもする。
これって他人の壁に首を突っ込んでいるのと同じ。
あなたが解決しようとしなくてもいいことをムキになって頭を使い体を動かし、精神をすり減らしている。
「してあげている」人は自分の正義を押し付けているって気がついていない人だって
「してあげている」という心の状態は危ない。
自分の枠を超えるってことだから。
必死になるってとても危ない。
精神を削っているってことだから。
周りと話を遮ることにもなる。
必死に頭を動かし体を動かして精神をすり減らしていて
それで幸せを感じていればいい。
しかし、大抵他人の壁に必死にぶつかっている人は本人以上に苦しんでいるんですよね。
そしてあの人がどうとかこうとか意見をするようになる。
仕方ないこともありますよね。
自分がやらないとどうしようもないからと。。
第3者のように聞いたり読むと、必死な人のことを「大変な人だな〜‥」って見ることができるけど、自分のことだなんて気がついていないことが多い。
結局、「自分は他人よりも気がついている」という人が実は誰よりも気がついていないことになる。
皆正義感がとても強い。
自分がやらないとダメなんだって行動を起こす。
そして精神的にボロボロになっているのを見逃してしまう。
気がついても自分を癒す方法を知らないからボロボロになった時は遅い。
老体に鞭打って他人の世話をする人になる。
どうしようもないと割り切れるのも人間。
自分がいないとダメなんだったらまずは自分が幸せじゃないとね。
ボロボロで怒ってばかりで自分を幸せにできない人に支えられても幸せにはならないかもしれない。
その人は幸せのなる方を知らないから。
どうしようもないと割り切れることで道筋が見えてくることもある。
もちろん見えないこともある。
人生そんなに甘くない。
でも人の話を聞かなくなったらそれ以上人生は好転しないことは確かかもしれない。
自分のことを幸せにできない人なら尚更。
結局は他人が幸せの感じ方を教えてくれることが多いのだから。
どうしようもないことにぶつかり続けて「これはどうしようもないこと」「これは自分でどうにかできること」と振り分けられるようになる。
どうしようもないことで悩むのも人間の特権。