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#2 兼業生活のはじめかた(きっかけ・その2)

コロナ禍で家族べったりのまま1歳半になった娘は、部屋に飾った花が枯れたのを見て、「また買ってくればいい」と言った。それを聞いて私は「うっ」と思わず声が出た。モノは交換可能であってお金さえあれば簡単に手に入るという、刹那的なことを1歳半にして口にする娘。

今でもそうですが、ビジネス>生活という脳のままで子育てすることが取り返しのない結果を生む気がして、うろたえている自分がいます。

特に娘が0~1歳の頃は、余裕のなさがマックスでした。娘が熱を出したとき、まず頭に浮かぶのが締め切りの心配。保育園が休みの祝日には、娘とゆっくり一緒にいられる喜びよりも、「仕事する時間が減っちゃう」という焦りが先に来る。こんなんでいいんだろうか?と、妙な罪悪感を覚えていました。これまで積み重ねてきた仕事の努力と、目の前にいる自力で生きられない小さな子との狭間で、しょっちゅうイライラしていた気がします。

働かざる者、食うべからず。今の日本、特に都会では、そんなの当然という空気があります。「高い家賃をどうやって払うの?」「食費や洋服、交際費だってかかる。お金を稼がないと生きていけないでしょう?」と。

貧困支援の現場にいる方から聞いた話では、派遣切りにあったりして仕事や家がない状態の若者の多くが、友人や家族がいても、なかなか相談できないのだそうです。そのまま行き詰まり、自殺を考える人も少なくない。今の日本で「働いていない」=「まっとうな人間じゃない」というプレッシャーはこんなにも大きい。

しかし、まっとうに働くってどういうことでしょうか。それなりの企業に所属し、毎日会社に通って仕事をこなし、お給料が振り込まれること?私の場合はフリーランスだけれど、大手メディアで仕事をして「こんな記事を書きました!」と発信してお金をもらえれば、立派なライターといえるのか?

そんなことを悩むうちに出てきたのが、「兼業生活」という言葉です。兼業農家ならぬ、兼業生活。これは、子育て以前にビジネス系の取材と、ライフスタイル系の取材を続ける中で、自分の中に生じていた疑問とも重なる言葉でした(#0の自己紹介で説明しています)。

この言葉に、私なりに2つの意味をもたせています。

・ビジネスと生活を近づける。(社会全体の課題)
・自分の生き方と仕事を近づける。(個人の働き方の課題)

これは仕事の質や働く組織のありよう、大きく捉えれば社会の仕組みまで問われるテーマです。だけど全部を1人で考えるのは難しいので、「どうすれば仕事と生活をもっと近づけられますか?」「生きるための仕事とは?」という疑問を、インタビューでいろんな方にぶつけてみたいと思います。

その際、ロジックだけでなく、兼業生活を実践している(と勝手に私が判断した)方に、経験に基づく具体的なお話を語っていただくのが大事かなと思っています。

ということで、次回からはインタビューの記録を残していきます。どうぞよろしくお願いします。

※写真はすべて友人である写真家の中村紋子さん@ayaconakamura_photostudioによるものです

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