見せかけの自立と秘めた依存心
2022年しょっぱな衝撃の事実。
自分では自立していると思ってた。
微塵も疑ったことなんてなかった。
母との仲がとんでもなく悪かった私は、10代の頃早く家を出たくてしょうがなかった。23歳の時、カナダへワーキングホリデーで約1年家を離れた後、帰ってきてそのまま一人暮らしを始めた。
人と一緒の時間も楽しいけど、一人の時間も楽しめる自分は自立してると思ってた。
国内はもちろん外国にだって一人で行ける自分は自立してると思ってた。
なんでも自分で決めて、実行できる自分を自立してると思ってた。
一人暮らしをする自分を自立してると思ってた。
周りからも自立してると言われ、放任主義の親のおかげで、なんでも自分で決めて実行する自立心をもてたのはありがたいと思っていた。
「自立」の意味を今一度みてみよう。
この意味通りなら、まさに私は自立して生きてきた。今は父との2人暮らしで経済的に助けてもらっているが。
この対極が依存。
つい最近、自分の言動について考えることがあった。
自分を見つめていった先にあったのが、「依存」
聞いてほしい
見てほしい
自分が書く文章って、やたらだらだらと長くまとまりがないとは思ってたけど、それが実は依存からきていることもあると気づいて衝撃やった。
全てもれなく伝えたいという気持ちの先に、自分をわかってほしい強い気持ちがあることに気づいた。
表向きクールに自立してます風で、実は見えない内側では、かまってほしがってる自分がいた。もしかしたら気づいてないのは自分だけで、周りはとっくに気づいてたのかもしれん。恥かしすぎる・・・。
いろんなことが繋がった。
私がまだ2、3歳の頃とか保育園の頃?祖父母の家によく預けられていた。というよりもはや暮らしてるのと変わりなかったようやけど。
そしてその後の両親と私のクールな関係。
そんなこともあり1人は慣れているし、自立してると思いこんでいた。
1人が慣れているどころか、逆にその頃のかまってほしかった気持ちを今も引きずったままでいたのだ。
私が未だに、ぬいぐるみとかふわふわの可愛いものを大好きな理由もここにあったのかと合点がいく。
約半世紀生きてなお自分を知る旅の途中。
去年、『自分との縁結び』という記事を書いたけど、今年はさらに自分にもっと夢中になりたいと思う。自分が一番に自分をかまってあげようと思う。
というわけで、たった今2022年の抱負が決まった。
自分のことを誰よりも一番に見てあげる、聞いてあげる、かまってあげる。
誰よりも一番に自分に夢中になる。
素晴らしい抱負だー!
サポートとってもありがたいです♡♡♡ おかげで生きてゆけます〜〜〜!!!