20歳の輝き
散歩の途中、とある家の前で、着物を着たお嬢さんとそのお母さんが写真を撮っていた。
そうか、今日は成人式だ。
通りすがりではあったが
「成人式おめでとうございます。」と声をかけた。
お母さんとお嬢さんがうれしそうにほほえんだ。
昨年、私の住んでいる自治体では、コロナ禍により直前に成人式が中止になった。
会場になるはずだった大きなホールの前には
「本日の成人式は中止しました」と書かれた大きな看板が立っていた。
セレモニーが中止になったにもかかわらず、そのホールの前には着物姿のお嬢さんがたくさんいた。
着物を借りてしまい、美容院も予約してしまい、お支度だけしたのだろう。
娘を持つ母として、その気持ちはとてもよくわかる。
「中止になりました」と書かれている看板の前で記念写真を撮っている着物姿のお嬢さんが多くいた。
そこしか、成人式がわかる場所がないのだ。
入学式に、入学式と書かれた看板の前で写真を撮るのと一緒だ。
「中止」という字を指差して、おどけた顔で写真を撮っている人もいた。
何とも言えない気持ちでその姿を眺めた。
いまどきのお嬢さんは
成人式に着物を着ないと、
大振袖を着る機会は一生のうちにもうないだろう。
袖の長い大振袖は、未婚の若いうちにしか着られないからだ。
私が大振袖を着たのは、
成人式と、
友達の結婚式と、
結納式の3回だけだ
(結納式なんてものがあったのだ、そういえば仲人さんもいた)。
父と母が、気を使って作ってくれた大振袖。
白とピンクが基調の色。
鳳凰が舞い、花が散りばめられていた。
成人式の日、朝5時には起きてお支度に向かった。
髪を結い上げ、着物を着付けて、格別な気分だった。
歩いていても、電車に乗っても注目された。
「おきれいですね」
と、声をかけられたこともある。
華やかさと、かもし出される雰囲気が洋服とは違う。
何よりも父と母の嬉しそうな表情が思い浮かぶ。
(当時の私はお支度が大変で、着物に込められた父と母の気持ちに思いいたることができなかった。)
その後、わたしの大振袖は桐のタンスの中で眠り続けた。
25年後、娘のはるちゃんが成人式で着てくれた。
20歳の輝きは格別だ。
はるちゃんは、あるホテルの写真室で成人式の前撮り写真を撮った。
カメラマンの人が言っていた。
「成人式の写真は特別です。
一年過ぎたお嬢さんの写真を撮ることがあるんですが、20歳の写真と21歳の写真は違うんですよ。全然違う。」
何が違うんですか?
「なんというかねー、オーラみたいなものです。初々しさですね。ただきれいなだけじゃないんです。」
はるちゃんの20歳のきれいさは、期間限定。
大振袖姿を前にして
はるちゃんの生まれた時から
20歳までのいろいろな思い出が
頭の中に、駆けめぐった。
はるちゃんは、体が弱かったから心配した。
入院して、夜中に具合が悪くなったときには泣いた。
冷たい暗い夜を思い出す。
生きてくれているだけで良いとお祈りした。
私が成人式のときの
父と母のおだやかな笑顔の裏にあったのは、
こんな気持ちだったんだなあ。
お父さん、お母さん、どうもありがとう。
あまり良い娘じゃなくてごめんなさい。
娘のはるちゃんは結婚してお母さんになった。
桐タンスの中で眠り続けている大振袖。
次に着てもらえるのはいつだろう。
わたしのまだ見ぬ孫だとしたら
とてもうれしい。
わたしのお父さんお母さんの思い。
わたしと夫の思い。
はるちゃんとその旦那さんの思い。
大振袖がつないでいく。
はるちゃんに
着物の手入れをしっかり教えておかないと、
と気がついた令和4年の成人式の日。