3号→1号→2号と目まぐるしく3か月間で変わった話 (1)
夫の「もう働かなくてもいいかなあ」宣言
こんにちは。 アラ還あつこです。
私は、昨年30年ぶりに自分が「本人」の健康保険証を手にしました。 年金が
2019年8月まで→3号(扶養内)
2019年9月→1号(国民年金)
2019年10月→2号(厚生年金加入者) と1月ごとに変わって現在に至っています。
なぜ、そんなに目まぐるしく変わったのか、それは夫が家にいるようになったからです。
彼は60歳になった時、1年更新で会社に残るよう勧められました。
給料が下がりますが雇用は続ける、というよくあるパターンです。
夫は60歳となった2018年以降も会社に勤めることになったのですが、 会社側の営業実績を求める姿勢は変わらなかった。給料が下がるけれども、要求は変わらない。
営業職の方はご存知でしょうが、自社の製品が最高だとは限りません。
ライバルの方が優れた製品だとは思っていても、営業実績を上げるために自社の製品を勧めることがある。
理科系出身でもともと真面目な性格だった夫は矛盾を感じつつも、子供を一人前にし家計を支えるために頑張ってきたのでした。「誠意をもって お客さんと接し、クレームを信頼に変えていく」というのが彼のやり方でした。まあ、それが営業というものでしょう。
ちょうど子供が、家を出ることになりました。 会社からは4月以降さらに1年契約を更新するように打診されています。
2019年3月のある日、会社から帰ってきた夫は背広を脱ぎながら、ぼそっと言ったのです。
「ボクはもう、働かなくてもいいかなあ」
そこで「もう1年働いて」とは、言えませんでした。彼の心の中の葛藤がその一言に凝縮されていたから。
「アラ還おばさん、扶養外のおシゴト探す(30年ぶり)」
正直なところ、収入がガクッと減るのでやめてほしくありませんでした。
夫が働かないのなら、私が働くしかありません。
実母の家庭内介護を8年間続けて、心を病む寸前まで行った わたし。
実母は紆余曲折の末、有料老人ホームに入ることとなりました。
わたしが働く環境は、幸いにも整ったのです。
夫は会社に退職を申し出ました。
しかし引き止められて7月まで働くこととなりました。
2019年7月までになんとかフルタイムの就職口を探さなくてはいけません。
フルタイムの扶養外で働くのは実に30年ぶり。
こうしてアラ還あつこの就職活動が2019年3月、始まったのです。 (続く)
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