マヨネーズは2回半
エレベーターを5階で降りるとそこはもう美容室の中。
入口はない。エレベーターの扉がそのまま入り口だ。
「いらっしゃいませ」
用意されている不織布マスクを、耳のところでネジってつける。
シャンプーもするからだ。
ここは私の行きつけの美容院。通って3年になる。
私の担当は店長の S さん。
背の高い、ボソボソ話す男性。笑った顔はちょっと照れた感じ。
私は美容院を基本的に変えない。
自分の人となりや性格を伝えることで、
より良いヘアスタイルが提案されると思っている。
要は信頼関係だ。
アルバイト先で嫌なことがあった。
そうだ、美容院に行こう。
速攻、アプリで予約。
いちいち電話しなくていいのは本当に楽。
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店長のS さんは、聞き上手だ。
私が元気がないことをすぐに感じ取っている。
職場で嫌なことがあって、とポツポツ話し出す私。
シャンプーする時のマッサージが
いつもよりもちょっとだけ長かった。
noteの話をした。
Sさんはnoteを知らなかった。
私が毎日投稿を目指していると話すと
「それは美容師が修行時代に
毎日髪の毛を切る練習をするのと一緒ですね」
職場で黙り続けていた2日間の空白を埋めるように
いろいろなことをS さんに話した。
S さん「美容師はいろんな話を聞くことが多いんですよ。
きっと話しやすいんでしょうね。
利害関係もないし。
あ、大丈夫です。
あつこさんから聞いたことは他には話しませんから。
まあ難しくて内容を理解してないっていうこともありますが(笑)」
そのうちご飯の話になった。
私が10年ほど前に行きつけにしていた美容院では
毎日ご飯を炊いていた(らしい)。
偶然ご飯の香りがしたので、聞いてみたらそう答えられたのだ。
なぜ、美容院でご飯を炊くのだろう。ずっと疑問だった。
S さん「僕が以前働いていたところもそうでしたよ。
若い子たちが順番でご飯を炊いていました」
何のために炊くの?
S さん「従業員のお昼のためですね。おかずだけ外で買ってくる。
炊き上がったらラップに包んで、それぞれの人に置いておきます。」
忙しい時はどうするの?
S さん「 おかずを買ってくる時間がない時にはふりかけをかけておにぎりにします」
冷凍はしないの?
S さん「余ったら夜に食べます。基本的にその日で食べきるので冷凍にはしません。
お米代はお店持ちなので、まあ福利厚生の一環ですね」
福利厚生でご飯炊き。
うんうん、現物支給で役に立つ。
ご飯当番の若い子たちは大変そうだけど。
S さん「そういえばご飯にマヨネーズを入れると美味しいんですよ」
えっ?マヨネーズですか。
昔、慎吾ママが
一般人のおうちに駆けつけて朝ごはんを作るという企画があった。
そのお宅のマヨネーズをボトルごと口に入れて吸ってしまう。
マヨチュチュと呼ばれていた。
その番組の名物コーナーだった。
そんなことを思い出していたら。
S さん「もちろん炊き上がってからマヨネーズをかけるのも美味しいです。
でもそうじゃなくって、ご飯を炊くときにマヨネーズを入れるんです。」
はい?
S さん「氷も一緒に入れるといいんですよ」
それから S さんはていねいに
ご飯の炊き方を説明してくれた。
どうやら自宅でご飯を炊く担当らしい。
S さん「ご飯を研ぐ時にはささっと。白い水がきれいになるまで待たなくても大丈夫です」
それは私も聞いたことがあります。今は精米技術が発達しているからゴミを落とすだけで十分なんですよね?
Sさん「そうです、それから氷を入れます。水加減は氷のぶんだけ少なくします。」
ほお、氷を入れるのは何でですか
Sさん「水温が低い状態から炊くほうが
お米がおいしい感じがするから。
そしてここでマヨネーズの登場です。
少しだけその時マヨネーズを入れるんですよ」
なぜですか
S さん「ご飯がツヤツヤっていう感じになるんですよ。
マヨネーズはぐるっと円で入れるのではなく、直線的に入れるんです。
ぐるっと入れると入れすぎちゃうんです。何回も試したんですよ。」
とっくに私のヘアスタイルが完成しているのに
話が止まらない。
なんだかおかしくなって笑ってしまった。
S さん「あ、このヘアースタイルは
シャンプーして乾かすだけで大丈夫です
・・・・ってどんなに説明しても、
ご飯を語っていた時間より、ぜんぜん短いですよね」
そう言って照れたように笑っている。
大丈夫です。おもしろかったです。
ご飯を炊くのは日本人の基本だし。
お会計して
エレベーターのボタンを押してもらい、
乗り込む。
閉まるまでの
微妙に長くて短い時間
Sさんと向かい合った形になる。
「ありがとうございました」
型通りのあいさつのあと
S さんはあわてて言葉をつけたした。
「あつこさん、マヨネーズの量ですが
細い口のほうにして2回半です。
マルじゃなくて直線的に入れるんですよ。
シャッ、シャッ、シャッって」
Sさんの右手が3回
まるでアルファベットのZの字を描くように
大きく動いた。
「3回じゃなくて2回半ですから…」
シャッ、シャッ、シャッ!
手がまた動く。
ここでエレベーターの扉が閉まった。
ひとりきりのエレベーターの中で、
また笑ってしまった。
マヨネーズ試してみたいけど
ちょっとこわいかな。
ありがとう、Sさん。
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