「僕はもう働かなくてもいいかなあ」から始まった・・・定年後の夫婦のあり方
24時間働けますか
「ジャパニーズビジネスマン」と高らかに歌い上げるコマーシャルをご存知だろうか。
高度成長時代に流行ったドリンク剤の宣伝である。
景気は右肩あがり、定額貯金の利息が10%近かった。
お給料も毎年上がった。
夜討ち朝駆けの猛烈ビジネスマンがたくさんいたのだ。
我が夫もジャパニーズビジネスマンの一員だった。
そんな夫も定年を迎えた。
継続雇用制度を使って働き出して1年半たった2019年3月。
夕食後のくつろぎタイムに、こんな言葉が夫の口からぽろりと。
「ボクはもう、働かなくてもいいかなあ」
直前に次女が入籍をして家を離れていた。
子育てが一区切りついたのだ。
この低成長時代、お給料が半分になりながらも働き続けていた。
走り続けていた人生、少しゆっくりしたかったのだろう。
義務は果たした。私には止めるべき言葉はなかった。
来月から現金収入がない
それから間もなく、夫は会社を退職した。
失業保険がすぐに出なかった(自己理由とみなされた)。
退職金がほとんどなかった。
来月からの現金収入がゼロになったのだ。
これはまずい。
妻のわたしが働くしかない。
8時半から17時15分まで、初めてのフルタイム。
わたしの健康保険証の名義が31年ぶりに「本人」となった。
強制的に夫婦の立場が逆転してしまった。
妻が外で働き、夫が主夫となるのだ。
家事経験ほぼゼロ
ゴミを捨てたことが、31年間で2回しかない夫。
私がつわりで動けない時だった。
夫いわく
「スーツはボクの戦闘服だ、
戦闘服を着た状態でゴミなんか持ちたくない」
料理もしない、洗濯もしない。
買物はたまにあったが。
洗濯物をとりこんでも、物干し竿をしまえない。
洗濯バサミがびっしりと竿についたままだった。
肉のロース薄切りを頼んだら100g800円もするものを買ってくる。
野菜炒めなのに?
掃除機をかけてと言ったら、自分の部屋だけ。
ひとつひとつが気に入らない。
わたしはガミガミとうるさく怒った。
だんだん仲が悪くなった。
寝室も分けた。
黙ったまま食べるお夕飯は美味しくなかった。
ある日、ひどいケンカをした。
翌朝のこと
夫「きのうはごめん。
だけどあつこも考えてほしい。
ボクなりに一生懸命やっているんだ」
言葉は心に刺さったけれども、
具体的にどうしていいのかが分からなかった。
もやもやしたままの日が続いた。
会社の大変さに気づく
わたしの仕事はだんだん忙しくなっていた。
派遣でも、残業した。
上司や同僚との人間関係に悩んだ。
ほんとうに人の考えは千差万別だ。
受け答えひとつで、ガラッと変わってしまう。
ひとりよがりに仕事を進める人もいる。
フルタイムだからこその悩みだった。
夫も部下の対応、営業成績のあげ方など
それなりに苦労していた。
そう、わたしは彼が頑張って働いていたと
あらためて実感したのだ。
残業続きで
夫の家事に
いちいち文句を言う気力もなくなっていった。
家に帰って、夕飯ができているありがたさが身に染みた。
クックドゥーなどの出来合いの調味料を使ったり
レトルトや買ってきたものも多かったけれど。
原則を確認して、ルールを作ろう
そうはいっても
やっぱり家事の仕方で気になるところはある。
わたしだけが夫に歩み寄るのではなくて
夫も私に歩み寄ってほしい。
そうしたら努力は50%で済む。
どちらかだけが努力するなんて、長続きしない。
土曜日の午前中、話し合いをした。
わたし「これから人生の残りの30年間
あなたと一緒に生きていきたい。
笑ったり、泣いたり、たくさんの思い出を残していきたい。
パパはどう?」
夫「・・・・さいきん小言が多すぎるけど
・・・・まあ・・・一緒に生きていきたいと思ってるよ」
この原則があれば強い。
夫の「主夫業」も、「働くこと」と認めたのだ。
それはわたしが30年間得られなかったもの。
主婦業は「働くこと」と認められていなかったから。
そうか、わたしは認めてほしかったんだ。
主婦は立派な職業なんだよって認めてほしかったんだ。
家事をやって当たり前なんかじゃないんだから。
だから家事のできない夫につらくあたって、
心のすき間を埋めていたんだね・・・。
主夫業をまかせてみた
家事は原則として
夫のやり方にまかせた。
不思議なことに
いちいち口を出さなくなってから
夫の家事のやり方が変わり始めた。
責任を持つようになったのだ。
ゴミを「袋に詰めるところ」からできるようになった。
毎朝洗面台をみがくようになった。
気が付いたら
「すごいね!すばらしいね!!」
と大げさにほめている。
どうしても気になるところはやんわりと提案した。
だってこれは彼の仕事だから。
わたしだって会社で頭ごなしに言われたらイヤだし。
そのかわり、わたしも遠慮なく残業している。
主婦の時よりも行動的になった。
友達と会ったり、セミナーに出かけたり。
人生100年時代の定年夫婦にとって、働くとは
街を歩く家族連れに
なぜ働いているのかと聞いたら
・生活のため
・子供を育てるため
と答えるだろう。
では、子供を育て上げて
夫婦二人きりになった場合にはなぜ働くのだろうか。
・夫と妻の関係を見直し、新たな協力体制を作るため
だんだん体も動かなく、気力も続かなくなってくる。
できる部分を助け合わないと生きていけない。
どのように働くのか、どのように生きるのか見直そう。
夫がなにもせず、妻におんぶにだっこでは疲れ果ててしまう。
夫婦ともに外で働かない場合には
家事の平等な負担が必要だ。
・夫婦間の適度な距離を保つため
働いている間は、別の場所にいる。
いつも一緒じゃないのが心地よい。
お互いを思いやる言葉が
ある日の夕食で夫が言った。
「主婦業の大変さって予想以上だね。
細かいことがいろいろあるのに驚いた」
ようやくわかったか。
うんうん、「それが名もなき家事」というものだ。
自然とわたしも
「あらためて働き出してみて
人間関係や仕事の段取りなど大変だとを実感した。
お金をもらうってそういうことだよね」
満足そうにうなづく夫。
夫が主夫になって
3年が経った。
難関だった料理が少しずつできるようになっている。
「軽くいためるって何分いためるの?」とか
「ひとつまみって小さじ1杯なの?」
と奇想天外な質問をして楽しませてくれる。
夕飯のおかずのレンコンは
「酢6:水4の割合で作った酢水につけた」そうだ。
うーん、水1リットルに酢大さじ1くらいでいいんだけど。
道理でレンコンが真っ白だったわけだ。
働くとは、と考えたら
人生100年時代の夫婦のあり方になった。
あと何年一緒にいられるのか
先はわからない。
でこぼこしながら、相談しながら
いっしょに働き続けていこう。
「パパ、今日のお夕飯おいしかったよ、ありがとう」