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初めてのnote~自己紹介
生きづらさを抱えて、それでも生きる
幼いころ:漠然とした不安
小さいころより本ばかりよんでいた。ピアノを弾きながら歌うことも好きだった。なにより人にどうしても興味を持てない子供だった。同世代といると何を話していいかわからない。お笑いをみても、何が楽しいかわからない。バラエティの話やその物まねをしてもらっても笑うポイントがわからない。
自分が楽しい話を周囲に共有することができない。正論はかたれるし、まじめな文章、社会問題については意識も高いが、とにかく面白い話ができない。先生受けはよいが、クラスメイトを楽しませられない。友達はいたけれど、小学3年生の時に漠然とした疎外感を感じた後、ずっと距離の取り方がわからなかった。誰かのために生きるなんてことはとても想像できなかった。マーチングバンドに入っても、みんなで作り上げることではなく色んな楽器をマスターすることにしか関心がなかった。ベルリラ、小太鼓、大太鼓、シンバルにクォード。色んな人のレギュラーポジションを奪い、反感をかった。先輩たちは中学生になったらいじめてやろうと手ぐすね引いて待っていたらしい。
中学生~大学生:勉強と挫折
勉強が好きだったので中学受験をして進学校に入ってみたものの、友人作りは相変わらず恐怖でしかなかった。独りぼっちになりたくなくて、必死に友人作りに勤しんだ。少し気の合う人、楽しい話をしてくれる人にべったり依存した。先生と話している時間は楽しかった。中高ともに彼氏は0。バレンタインのチョコレートは父親と年のかわらない先生におくった。カラオケ行こうと誘われても怒られるのが怖くて学校をさぼることもできず、年に一度の花火を見る暇も惜しんで勉強。でも進学校には天才がいっぱいいて、必死に勉強しても1番にはなれない。社会に出ても人とうまく付き合えないとやっていけないという恐怖にかられ、勉強を頑張った。
将来は社会から離れて好きなことだけやっていける研究者になろうと有名大学に入ったが、本当の天才が沢山いた。会話は信じられないほどかみ合った。人生で初めて楽な場所を見つけた気がした。自分の話を笑って聞いてくれ、話におちがないことをいじってくる。夜の10時~翌朝6時まで夜を明かしてお互いの考えを述べあい、さらに新しい解釈を見つけて盛り上がる。それはテレビドラマの解釈~哲学者、政治ネタ。色んなパターンがあった。お笑い芸人のお笑いネタも分析して楽しむのだ。それは世の中でおたくといわれる部類の人たちであることは間違いなかったが、本当に居心地がよかった。
ただ、自分の能力が少したりていないことは学生時代を通じて身に染みていた。試験でたまにトップになっても、天才にはかなわない。天才はテキストを赤ペンで埋め尽くして覚えなくても、単語帳作らなくても本を読めば理解するし、難しい数式を当たり前のように組み合わせて論文を作ってくる。人の話は一言で整理してくれる。山のような英語の文献をよみ、簡単に理解しながら誰も思いつかないようなアイデアを思いつく天才達を前に門戸の狭い研究者の道を諦め就職をした。
就職/結婚:行き詰まりの中で
就職氷河期だったが、うまく流行りの仕事に入りこめた。うまくいくのは最初だけ、小さいころから不安だった人間関係がやはりネックになった。相手を思っての行動。という部分だ。さりげない気づかいができない。タクシーに乗るときの道順の案内、小銭の用意。会食の場でのお料理のとりわけ。日経新聞の私の履歴書を読んで取引先の社長ともりあがったり、一つ予備を用意しておく資料の準備に上司への事前プレゼン内容説明をすること。とにかく相手に届かない。一歩の動きが遅い。相手の理解度を把握せず機械的にするので、準備がから回る。時間を守れない。始業時間は送れないがお客様との会議を途中で切り上げられず後ろのアポイントメントのお客様に迷惑をかける。1枚の請求書づくりに1時間かかる。お酒の場でのたわいのない会話が苦痛。更に悪いことに普段我慢する分お酒を飲むと羽目を外す。普段たまっているうっぷんをこれでもかと晴らしていた。
使う言語は明治初期の日本語のように漢字と熟語中心。かつ相手の理解を飛び越えて一人で結論から入ってしまうから何をいいたいのかさっぱりわからない。順をおって話せないかつ難解な熟語中心の会話のため、理解力の高い存在にしか理解されない。たまたま理解力の高い多くの方に支えられ、働く場には困らなかったが、いまだ20年以上の毎日の英会話教室通いにもかかわらず仕事で英語が使えず、PCもさほど得意ではない。まさにポンコツキャリアウーマンである。
さらに結婚をして子供もさずかった。子供を育てることがすごく怖かったが子供は本当にかわいかった。なによりどんな自分でも必要としてくれた。誰かに必要とされる喜び。夜泣きもまったくつらくはなかった。おっぱいを飲んでぎゅっと抱きしめてくれる存在はどこまでもありがたかった。ただ、仕事はやめられなかった。そうするとまた自分のことに精いっぱいになる。終わらない仕事。携帯メールにも気が付かず、保育園のお迎えにも遅れた。夫は子育てのために、手際の悪い妻のサポートを全力でしてくれた。毎朝毎夕ご飯をつくり、ワンオペを回避するために祖父母を都度呼んでくれていた。そうでもなければ家庭と仕事のマルチタスクをこなすことはとてもできなかったであろう。仕事優先で家庭を忘れる妻に夫はいらだち責め立てる。でも子育てで仕事がままならない。でもその状況を周囲にうまく伝えられない。仮定も仕事も、全方向に不満をためさせてしまう。そうして失敗をするたびに自信を失い自分を責め続けた。
その結果、3~4年おきに職場や仕事がかわった。時々気に入ってくれる仕事仲間や上司がいてくれたおかげである。ただ、嫌われる人にはとことん嫌われる。結果、何となく違う場所に行ってしまう。紆余曲折を得つつも今も某大企業の管理職として働くことができている。なので見た目は今どきの高学歴リケジョそこそこキャリアウーマン風、だがとにかくぱっとしない。
かわりたくて自己啓発セミナーにも通った。NLPにコーチング、時には個人メンターまでつけて傾聴力をトレーニングしたり、プレゼンテーションの練習をしたり。自分の過去のトラウマ解消のためのチャイルドワークや瞑想。他にも1日1回ありがとうと言ってもらえる取り組みもやってみた。
仕事もひょんなことから部を任され、部下がいることもあった。そのときは毎週昼ご飯をたべながら悩みを聞こうと試みたりもしたが、いかんせん人のことを理解できないので相手がどう思っていたのかはよくわからない。時々思いついたように頼ってもらえるととてつもなく嬉しかったりする。
何もしてこなかったわけではないが変わりきれなかった。子供がひとりでなんでもできるようになるころには子供から夫からも相手にされず、ただ居場所がなくなっていた。
自分に興味を持ってくれない母親を求める子供はいない。TVゲームの桃鉄に夫と子供が夢中になるものの家族団らんの輪にも入れず、貧乏神の巨大なキャラクターに財産を奪われるシーンをながめながら、もう仕事も家庭も捨て、一人になり山にこもって隠遁生活をしようかとも考えるところまで追い込まれていた。
変わることを決めてからの取り組み
年が明けて、一人帰省し初詣をしてみた。そうしてお寺で3時間座禅を組んだ。一人になる前に後1年だけ本気で向き合ってみよう。身近なひとと自然な関係をつくれる自分になれるのか。そう思ってこの1年やれる限りのチャレンジをしてみた。
それから1年。まだ成長途上にあることは認識しつつただ穏やかな時間を過ごすことができている。大嫌いだった自分を好きになれている。そのことへの感謝をこめてnoteに軌跡を残してみることにした。一人で生きづらさを感じている人の助けとなりますように。同じような悩みを抱えている方に少しでも救いになることを祈って。