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ドキュメント366時間!神奈川撃沈から東京大決戦の朝まで、厚子は何を想いそして何を成していたのか。

一般社会ではあまりに耳にすることないのにお受験界隈だけで超頻出、かつ本番が近づけば近づくにつれ頻繁に飛び交うようになるお受験ワードのひとつである「徳を積む」。


ちゃんと積んでますか?徳(引用はこちら


みなさんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
厚子もご多分に漏れず小学校受験を経る中でいつの間にやら身につき「実体験」と共に骨身にしみてしまったせいで、お受験を卒業して2年たった今でも息するように積んでしまう徳


お受験界隈での「徳積」の定着は狼侍氏の発信によるそれであったように記憶するが、直前期を迎える頃になると21年度以前のお受験パイセン方からも「徳をつめ徳をつめ!」とSNS上で繰り返し励ましてくれたことをよく覚えている。

 
 
なんでも「徳を積む」という言葉は仏教に由来し「善行や徳行を重ね実践すること」「善い行いを重ねておくこと」という意味があり、立派な行動を積み重ねることにより、人徳を高めたり神仏の加護を得ようとしたりすることを指すそうだ。

本来は「宝くじが当たる」だとか「なくしたものが見つかる」といった運に任せざるを得ない行為において望ましい結果を得るために、善行を重ねることとして使われるんだとか。
 
お受験でいえば「神奈川の考査本番と東京の面接日が重なりませんように。」だとか「国立の一次抽選を突破してくれ」といった神頼み的な願いを叶え、勝筋を引き寄せるためにもちいられるのが正しい使い方であった。
 


無論厚子も、受験中は徳を積むため日々善行を重ね、来るべき日に幸運が訪れるよう準備していた。


しかし、埼玉合格によって1年半におよぶ徳の積み立てをすべて使いきってしまった(と当時は本気で思っていた最初から最後まで運任せのお受験母であった)厚子は、かさぶた家の神奈川壊滅は全てわたくしの不徳の致すところであります!

不倫をすると一生ネットのおもちゃにされますね

と辞任待ったなしと言わんばかりに己が責任丸投げ姿勢をとり、何を血迷ったのか神奈川から東京に至る超絶貴重な2週間という限られた時間を、当時の不徳をリカバリーするかの如く短期集中的に徳を積んで積んで積みまくることに決めたのだ。
 



コンビニに行くたびに小銭をすべて募金箱にぶち込むのはもちろん、道端にごみが落ちていれば拾う、電車で席を譲る、ユニセフに募金する、BIGISSUEを買う、転んだ子供が目に入れば絆創膏(かわいいやつとか新幹線柄)を配る、子連れのお母さんの手助けをする、道を聞かれたら親切丁寧に伝えるし10分圏内なら現地まで一緒に向かうし知らん場所でもgooglemapで検索するなど。とにかく機会を見つけては徳を積んで詰んで詰みまくった。なんなら自ら徳積みチャンスを得るために、街中を徘徊する時もあった。

 
ぼっちゃんと帰宅中の駅構内でエンカウントし最寄りエレベーターまで道案内をした知らんおばあちゃんは、厚子とぼっちゃんが手をつなぎ歩く様を目を細め微笑ましそうに一瞥した後「うちの息子はねぇ…もう死んだと思っているんですよ。」とぼそっとつぶやかられ、その一言に込められた壮大な愛憎物語が脳内をかけ巡っちゃった結果未来の自分とぼっちゃんにその姿を重ねて冷たい手汗をかいた。

有楽町線の地下通路で知らん人の給与明細を拾ってしまい、知らん会社に電話をして事情を説明したら「大変申し訳ないがその明細を破棄して欲しい」って言われて、人生で初めて知らん人の給与明細を駅のゴミ箱に捨てたこともあった。

紺スーツに身を包み5cmヒールを履いた状態で若いお母さんと一緒に駅の階段30段分ベビーカーを運んだ時は、紺服での社会貢献がお受験業界全体のイメージアップにつながるのではないかと業界の全てを両肩に背負ったつもりで階段を登り切ったし、高みに到達するその最後の時まで200%の笑顔でキメてやった(60インチテレビよりよほど軽かった)。


己の膀胱が限界を迎え爆発突破寸前なのに、後ろに並ぶ幼きレディにお手洗いの順番も譲った(マジで漏れるかと思った。39歳でおもらしするところであった


バスの乗り降りの際は、その車内の誰よりもでかい声で「お願いします!ありがとうございました!」と感謝の念を口にし深く頭を下げた。



このように、神奈川撃沈から東京大決戦までの2週間あまり、私が受験生当事者であればどんな学校の行動観察でもトップオブトップの評価を得られるであろう行動がとれたと自負していたし、その様子を熱望校の校長先生が絶対目撃してくれているはずだ。考査で学校を訪れた際には

「あぁ、あのときベビーカーを抱えて30段の階段をヒールで登り切ったわんぱくなお母様じゃないですか!あなたこそ我が校にふさわしき御人!ぜひ我が校にヒアウィーゴ―!」

厚子の善行をその目にこすりつける勢いで見てくれよ!

と声をかけてもらえると信じて信じてしんじまくったが、無論そんな日は訪れなかった。

 
今振り返っても、大変に強欲かつ利己的な徳積であったが、しかし徳は徳だ。厚子の欲によって誰かがちょっとだけ幸せになったんだから、それでももうオールオッケーじゃん☆と、とにかく積んで積んで積みまくった。
 


 
聡明な読者の皆様ならすでにお気付きだろうが、補欠が回ってくること、そして考査で合格を得ることは決して偶然やラッキーなどではない。

もちろん出題内容との相性やグループ分けや組み合わせの妙といった運的要素がゼロではない部分も寡聞にある。しかしそんなの些末な条件だ。

小学校受験は運で合格が得られるほど簡単なもんじゃなぁない。

分かっている、そんなこたぁ分かっているのだ。しかし、この時点で既にやれるだけこのことはすべてやり切っていたお母さんには、もう徳の神様にそのすべてを託すしか術がなかったのである。


こんな主体的がけっぷち徳積生活を続けること5日あたりから、厚子の心と体に変化の兆しが見えだした。


本来の厚子は、このような秋の入口の季節を大変苦手としている。寒暖差も激しく気圧の変化も多いことも重なって、例年理由もなく心身に不調をきたしがちであったからだ。

これオブこれ。毎年本当にどうにかしてほしい(総力特集



しかし、今年はなんだか違う。なんなら例年よりも精神的なプレッシャーと物理的な疲労にさいなまれているはずなのに、朝の目覚めがよく、メンタルの沈み込みは浅く、そしてなんだか足取りが軽いのである。
 

こんなハイテンションな朝、過去10年訪れていない


 はっとした。これはもしや、徳積活動の思わぬ成果なのではないか。

厚子はついに世の理に触れた気がした。 

徳というのは家の中では積めない。無論、愛する家族のために奉仕するという行動も立派な貢献だ。

しかし、徳というのは、家族や友人知人といった親しき人やステークホルダー以外の全くの赤の他人に対して何かをすることに意義がある。


漫画の神様こと手塚治虫大先生もそう言っている(言っていない


つまり、徳を積むためにはいやおうなしに外に出なければならい。


例年であれば、心身の不調をきたすとできる限り外出を控え家にこもりがちになっていたが、今年は徳を積むためにちょこまかと外に出かけていた。その際に、とくにかくよく歩きそして動きながら周りをよく観察していたのだ。


徳を積みたい。その気持ちが「お散歩」というアウトプットとなり、また軽い運動となって知らず知らずのうちに厚子の心身を鍛えていたのではないか。



 
こう考えている間も、近所の神社にお参りするためにテクテク歩いている最中であったものだから、厚子の予想はもうほぼ確信に変わっていた。


徳を積むと、長年患っていた精神的な未病まで治すのか!!!!徳すげえな、

徳を積めば戦争も終わるし貧困もなくなるし円安も収まる!そしてかわいいも作れる!!!!
 

厚子の青春ド真ん中☆かわいいはつくれる!(懐)


もはや意味も不明な結論に至ってしまったがもう後には引けない。癌が治る水や不倫相手が奥さんと離婚してくれるパワーストーンや財を成すツボを高額で買ったわけでもない、ただ徳を積んだだけなのだ。ちょっとくらい夢をみさせてくれよ。
 
そして厚子は決意した。
 

私は徳を積むことで東京の合格と神奈川の補欠を全部手に入れる。


そして宝くじで5億円をあて、10キロ痩せて健康体になった暁には、「まぁ、あんなに光り輝く美しいお母様は一体どこのどちら様!?」と熱望校の入学式の校門前スナップで小粋なカメラマンに写真を撮られてVERYの誌面デビューを飾り一般の兼業主婦からVERYの表紙まで上り詰めるっ!つまり私は…タキマキだぁぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!


VERY編集部に怒られないか心配です(光文社


 
と徳の魔力に取りつかれた悲しきアラフォーの脳内では


10キロやせた自分が表紙になったVERYが並ぶ本屋の店頭しか浮かんでなかったしこの妄想は最早お受験何も関係ないしそもそも雑誌の表紙になりたいのかって言われたらそんな分不相応なことを1mmも考えたことはなかったし「かさぶた厚子」なんて意味不明な偽名でSNSで「息子が朝起きると大体全裸」とか「夫が家に帰ってこない」とか「お金がないのに服を買ってしまって預金通帳のゼロの数がおかしい」とか「税金のためによけていたお金を全額お受験費用に突っ込んだ」なんて気品も礼節も常識もない発言ばっかりしている下品な兼業主婦であることが公衆の面前に晒され身バレなんてする事態に陥ったらお日様の下を歩けない。そもそもタキマキに平手で往復びんた100発されたような顔面の厚子が仮に10キロやせたとて雑誌の表紙になんてなれる訳もないのである。

厚翁自伝 下巻P.233より抜粋

△滝沢さんはびんたなんてしない、暴力反対!



今振り返っても、貴重な直前期の2週間、もっと他にやることはあったように思う。


しかし、当時の私にはもう意味の分からんサクセスストーリーを妄想して徳を積む。それ以外にやることが全く見つからなかったし、そんな状態であったことはある意味とても幸せなことだった。

それは「もう徳を積むこと以外やることがない」そう言えるところまで、思いつく限りのこと全てをやりきっていたからだ。


 
無論、結果を出しまくって快進撃を続けるご家庭もある、我が家が足元にも及ばないような長期間努力に努力を重ねたご家庭だって腐るほどいる。我が家なんてこの業界の末端も末端だ。

しかし、その立場をわきまえた上でも、厚子は「私たち家族は、やれるだけのことをすべてやった」という気持ちだけは失わなかったのである。



もちろん、悔いることや「やっちまった!」という後悔は腐るほどある、なんなら現在進行形でやっちまったのオンパレードだから我が家は今こうなっている。しかし「やっちまった後悔」はあっても「やらなかった後悔」だけはなかった。

ノブレスオブリージュといえばJOJOであります


 
我が家が持てるリソースの全てを使って、時間もお金もかけて、無い知恵を振り絞って「これをすれば志望校の合格に近づくのではないか」そう思える全てをできる範囲ですべてやった。

どうしようか迷ったら「とりあえずやる」の選択を取ったお受験の日々

だった。
 
この「やらなかった後悔」だけがなかったことが、我が家唯一のそして最大の誇りであったし、だからこそ直前期も直前期の残り366時間においてひたすらに「徳を積む」というエクストラバリューな行動だけをとることができたのだ。


 
もちろん、徳を積む間にお教室にも通ったし、ぼっちゃんの健康管理や面接の最終準備などやるべきことはやっていた。しかし。「これでだめならもうどうしようもないね。」夫婦ともにそう思える境地にまで至れたからこそ、最後の最後に徳を積むという行為に没頭できたのだ。


 
往年の読者の皆様であれば、このように徳を積んで積んで積みまくった結果、かさぶた家が東京大決戦でどんな結果を得たかもうご存じのはずであろう。

△こんなに頑張ったのに、まさか実家で泣きながら大根を抜くことになるとは思いもよらなかったよね!


結果だけ見たら

「結局徳を積んでもどこも受かんなかったじゃねぇか。」

って鼻で笑ってしまうかもしれない。そしてその鼻笑は間違っていない。マジでどうしようもないんだよ我が家は。


 
でも、今振り返ってもなお、あの1年半にわたるお受験期間はもちろん直前366時間の過ごし方を後悔をしたり「やっぱり違うことしとけばよかったな~」なんて思ったりしたことは1度もない。
 


何が因果か応報かなんてベテランお受験講師であるハズキルーペでさえ分からない。

先生、元気にしてるかな。今もハズキルーペなのかな


けれどかさぶた家は(主に厚子が、主に強欲をモチベーションとして)徳を積みまくったからこそ、国立小学校を受験するチャンスにも恵まれ、補欠は全部回ってきたと自負している。

そしてなにより、

ぼっちゃんが毎日元気に笑顔で小学校に通ってくれている。

奇々怪々な小学校受験という経験を通して得た結果として、これほどまでに幸せな結末は他にない。今もって、知らん人の給与明細をごみ箱に捨ててよかったと思っている。

A社の山田(仮名)はなんでこんなものを落としたのだろうか… 

今このnoteを読んでいる方の中には、もしかしたら当時の我が家のように、神奈川で思わぬ苦戦を強いられ、焦り落ち込みどうしようもなくなって何も手につかず口から魂がごっそり抜け落ちているご家庭もあるかもしれない。

夫婦喧嘩をしたり、お子様に対し意図せず辛い言葉をかけてしまったことを悔やんだり「もっとああすればよかった、こうすればよかった。」とひとり孤独に後悔と闘っている方もいるかもしれない。


そんな死線にたったご家庭に、私のようなスピリチュアルばばあがかけられる有益な言葉なんてひとつもありゃしないのが大変申し訳ない。

元祖スピリチュアルばばあこと細木大先輩


 
しかし、今はまだ10月である。あと数日は確実に時間がある。


 
もし少しでも気力体力に余裕があるのであれば、「今日からのこり数日間、この数日間だけでいいから、絶対悔いを残さぬよう、できることをやってくれ。」

この一言だけを、大変僭越かつ偉そうではあるが贈らせて欲しい。


たった数日ではあっても、「合格の為に何かをした。」

その自信と気持ちを持つことが運を呼び込み、試験日当日が小春日和の温かな天気に恵まれたり、ペーパー試験ではお子が苦手とする分野が出題されなかったり、行動観察で安定したメンバーぞろいのラッキーグループに配置されたり、校長先生などキーマンの面接官の面接にあたったり、無理めと思っていた補欠が回ってきたり、国立の一次抽選を突破したりするのだ。

赤パン(夫)はドラゴン桜を読んでいたのに東大に3回落ちた(前期後期)


「たった数日だけど、私たちやれることをやったよね。」


ご夫婦で、そしてご家族で。そう笑って話せたならば、自然と道はひらかれ、家族が行くべき道へ必ず導いてくれると厚子は信じているし、このnoteを読んでくれている全ての人が、東京初日を笑顔で迎えられるはずだとも信じている。

 
もし気力体力が限界を迎えており何も手につかない状態なのであれば、

とりあえず寝ろ。まずは寝ろ、そして寝ろ。

睡眠不足は諸悪の根源です、いいから寝ろ


寝ることが結局一番の心身の回復につながることは間違いない、こんなnote を読んでいる暇があったら22時に寝て翌朝6時に起きてラジオ体操でもするのだ。


もし何かしたいけど何をしていいか分からないとお迷いならば、ぜひ今すぐ近所のコンビニに行って募金箱に100円玉を投入してまいれ。この一投が運を呼び込み、家族を笑顔にしてくれるから。
 


やっちゃえ日産(古)、やっちゃえ24年度受験生

相変わらず空前のキムタクブームです(日産

泣いても笑っても、お受験に没頭できる尊く愛おしい日々はもうあとわずかしかない。


悔いなきように、やりきったと笑えるように。そして徳の神様が微笑んでくれるように。1分1秒を大切に、ぜひ前向きに頑張ってください。応援しています。

かしこ 厚子

【完】

最期まで読んでくださりありがとうございました。
相変わらず合格のノウハウや成功へ導く提言など、皆さまのお役に立てる情報発信は何ひとつもできない中で、多くの方に読んで応援してもらえたこと、感謝してもし足りません。

また24年度受験生の皆さんからすると「お前誰だよセンシティブな時期にうるせぇな!」って大切な時期の邪魔をしてしまったのではないかという不安もありつつの執筆でした。

私自身が2年前に小学校受験神奈川~東京エリアの本番を迎えた際、SNS上で数多くの先輩方に支えられ、また暖かいエールを頂き、背中を押されたことでなんとか乗り越えられたという経験があります。

当時頂いたご恩を次の世代の皆さんに少しでもお返したいという恩送りのような気持ちで筆を執らせていただきました。お見苦しい点も多々あったと思いますが、しんどく苦しい日々を送る当事者の皆さんが少しでも笑ってくれたり元気が出たり、次の日も前向きに過ごせていたら、それが何より嬉しいです。

昨年度の連載時にも書きましたが、私がお伝えしたいことは今もって変わりません。

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辛く苦しい今だからこそ、どうか諦めないで。考査が終わるその瞬間まで悔い残さぬようにやり切ってほしいです。絶対に大丈夫だから、最後まで家族を信じてやり抜いてください。

その先には、頑張り抜いたご家庭にしか見ることのできない景色が広がっているはずです。
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残り僅かの愛しいお受験の日々、最後まで楽しんでください!応援しています。

最後になりましたが、今回もコンプラチェックや個人情報保護、文章構成に協力してくれたけめけめちゃんはじめX(Twitter)上でコメントをくれたりリポストして広めてくださった皆さん。本当にありがとうございました。

あとがきにかえて



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