直前期の極悪ファイトは突然に。厚子発狂60インチテレビ倒壊事件【後編】
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「そんなにテレビが見たいんかぁぁぁぁぁぁっぁあぁぁぁぁぁぁぁあぁ!!!!」
この瞬間、厚子に宿りし三原のじゅん子が無事成仏し、入れ替わるかのように極悪女王ことダンプの松本ことゆりあんのレトリィバァがご降臨した。
自分でもびっくりするほどの極悪ボイスで雄たけびをあげた厚子レトリィバァは、テレビ裏の配線をまとめてぶちっと引き抜くとジャーマンスープレックス体制に入るよろしく60インチサイズの薄型テレビを抱きかかる。
近年の液晶テレビというのは薄い、大変に薄い。だからこそちょっと勘違いしてしまうのだが、あいつらは棚橋級(101kg)に重たいのである。もし今目の前にテレビがあるならぜひ持ち上げてみて欲しい。マジでうんともすんとも言わないから。
にも関わらずそれなのに、ブチ切れスイッチ全開マックスになっていたダンプかさぶたは、そんな激重60インチテレビを持ち上げると怒りのままに、テレビ台から床に叩き落したのだ。
さすが極悪女王。パイプ椅子で人を殴る、チェーンでレフェリーの首さえ締める、記者会見でニワトリの首を掻っ切る、そして60インチテレビを床に叩きつける。
これぞダンプかさぶた、これぞ厚子レトリィバァ、ダンプ THE HEEL! ダンプ THE HEEL!
▲01:15あたりから曲が始まります(DUMP THE HEEL)
悪の坩堝となりし血塗られたリングの上にあがった極悪女王厚子をとめられる相手なんてブル中野か安齊勇馬(*イケメン)しかない。
齢6歳のなんちゃってキムタクには荷が重すぎるし彦摩呂は重量的には悪くないけれど筋肉体力精神力が足りなさすぎる。
愛するお母さんが極悪女王となってリング上(*リビングです)を縦横無尽に暴れまくる様を、6歳のキムタクは文字通り唖然と見つめていた。
「テレビとは観るものであって床に落ちているものではない。」
という保育園児キムタクの常識がひっくり返された瞬間であった。
事実は小説より奇なり。天動説派と信じていた16世紀のヨーロッパの人々と、令和を生きる6歳のぼっちゃんと。どちらの方がより現実の重さにインパクトを感じたのか。
そして「ブチ切れたお母さんが極悪女王に変貌し床にテレビを叩きつける。」こんなカオスな展開、数多の生放送を乗り越えてきたベテランレポーターである彦摩呂だって遭遇したことがないだろう。
テレビが倒れた瞬間に横にあったオムレツの皿も一緒にぶっとんでいた。ぶっとんだ勢いで、いつもより多めにかかっていたケチャップが床にどばっと巻き散っていた。
▲全く知らん人の動画ですがオムレツが宙を舞います
「お母さんはテレビが大っ嫌い!テレビがあるからぼっちゃんはお約束を守れなくなる!!そんなテレビなんてこの窓からぶん投げてやる!!!!!」
極悪女王はそう叫ぶと、今度は血まみれ(*ケチャップです)になったテレビを窓からぶん投げようとベランダに引っ張りだそうとし始めたのだ。
「おいおいお母さん、テレビは長与千種じゃないよ、ライオネル飛鳥でもないよ。そんなに気軽にリングの外に引っ張り出してはいけないよ。」
赤パンこと夫がその場にいれば、吉本生まれJTC仕込みの大して面白くもないつっこみによって現状を打破しようとしたかもしれない。しかし今リングにあがっているのは、39歳のダンプ松本と6歳のキムタク(彦摩呂)と60インチ薄型テレビだけである。
この血塗られた(*ケチャップです)タッグマッチを終わらせられるヤツなんてこの世に存在しないぜDAMP THE HEEL! DAMP THE HEEL!
「ママ、落ち着いて!お願いだから落ち着いて!!ぼっちゃんとお話ししよ?ね、お話すれば分かるからっ…!!!」
齢6歳の幼子に話せば分かると諭される39歳の極悪女王、しかしその怒りは収まらないし、話し合いで事が済んでいれば夏の大阪城ホールで地獄の髪切りデスマッチなんて起こりはしなかったのだ。
「うるさいっ!!お母さんは捨てる!!捨てるんだ!!こんな悪魔は窓からぶん投げてやるっ!!!」
テレビの立場になってみればなんともひどい話である。突然床に叩きつけられたかと思えば勝手に床を引きずり回されかけ、挙句の果てには悪魔扱いだ。三原のじゅん子であっても下僕たちにこんな扱いをしないであろう。
しかし、ダンプの松本であれば確実にやるだろう。仲間であるはずの極悪同盟のメンバーの首さえ笑いながら締める。それが俺たちの極悪女王だ。
テレビは何にも悪くないのに、とんだとばっちりを受けて半ば強制的に極悪同盟への仲間入りだ。こんな人生散々しかない。勘弁してやれよ。
そして、何を言ってもどんなに懇願をしても、1mmたりとも動かないテレビを引きずり捨てようと躍起になる極悪女王の姿を見て、さすがにこれはマジでやばいと悟ったのか、愛する彦摩呂は光の速さでお教室用の服に着替え自ら水筒に水を入れ
「ママ、早くいこう…お教室、いこうっ。」
と涙ながらに訴えた。
ここからの記憶は断片的であいまいである。
極悪女王は、どうやってお教室用の紺服に袖を通したのか。もしかしたら公園に行ったままの白Tシャツにユニクロのジョガーパンツの装いだったのかもしれない。
飛び散ったケチャップが前ももあたりに染みわたっていたが、ダークカラーだったパンツの生地はその汚れを上手に隠してくれた。全身からケチャップの匂いがプンプンしていたことだけをよく覚えている。
怒りに我を忘れたまま大通りに出てタクシーを拾い「1秒で早く到着させてくれ。」と運転手さんに頼むと、そこから猛スピードで駆け抜ける首都高速の一端をぼんやりと見つめていた。
往年の名作ビューティフルライフでキムタクがYAMAHAのバイクで駆け抜けたのも、確かこんな高速道路であったはずだ。
そして、地面を這いつくばるほどの必死な面持ちで模試会場に到着すると、受付横で担当講師が相変わらず皺ひとつ許さないピシッとした姿勢で立っていた。
かさぶた母子は最後から2番目の受付であった。
いつもであれば「お母さん、こんな大切な日にギリギリ行動はよろしくありませんよ。」と苦言を呈されるはずが、目が合った瞬間ぎょっとしたままダンプかさぶたとキムタク母子の異様すぎる様子を凝視していた。
全身からケチャップの匂いをたちこませる極悪女王こと母と、膝にはデローンと伸びた新幹線の絆創膏の上にセロファンテープを重ねている彦摩呂こと受験生の二人組
である。どんなベテラン講師であってもやすやすと声をかけられる状況ではない。
自慢のハズキルーペのグラスは、その日に限って曇ったままであった。
永遠とも一瞬とも言える2時間の志望校模試は終わりを迎え、これまた記憶もあいまいなままでふらふらと自宅に帰宅すると、ケチャップ臭い母親とデローンと伸びた新幹線の絆創膏の上にセロファンテープを重ねた息子は、紺服のままベッドに倒れ込み眠りについた。
熱戦を戦い抜いた戦士だけに許される、安寧とも呼べる休息の時間がついに訪れたのである。
直前期だと言うのにノー天気に接待ゴルフに興じていた赤パンこと夫は、リビングのドアを開けた瞬間に小さく悲鳴を上げたそうだ。
朝家を出るときには整っていたはずのマイスイートホームが、血しぶき(*ケチャップです)飛び散る凄惨なリングに成り代わっていたからだ。
床にひっくり返ったテレビ。飛び散るケチャップにオムレツの欠片。えぐられたように何か所もへこんだフローリング。半開きになった窓。そして寝室では紺服を着たまま死んだように眠る愛する妻と息子のさまに、夫もまた地獄を見たであろう。
そして、無駄に高い偏差値と状況対応力を持つ夫はその瞬間にすべてを悟った。
未だアルコールが残る体に鞭を打ち、床にひっくり返った60インチのテレビを持ち上げると、ひとり誰にも聞こえないよう「おもたっ…」とつぶやいたそうだ。
朝起きるとフローリングはべこべこにへこんでいたものの、飛び散ったケチャップは綺麗にふき取られていたし、テレビは元の位置に戻っていた。
あんなに全力全開でひっくり返したはずなのに、傷ひとつ付くことなくクリアな表示で朝から安住紳一郎を映す我が家のテレビの逞しさに胸が熱くなった。さすが世界の亀山モデルに、モノづくり大国ニッポンの底力を感じた。
▲まさかの生産終了になっていた世界の亀山モデル
最終模試のあとも直前講習やら何やらでお教室に足を運んだが、担当講師はあの日の話題に一切触れることなく、いつも通りひょうひょうと良く通る声で授業の解説を行い、最終日には「ぼっちゃん君はいつもと変わらぬぼっちゃん君でいきましょう。」と励ましなのか諦めなのかよくわからない声をかけてくれた。
そして、神奈川本番を迎える2日前に返却された志望校模試の結果、ぼっちゃんは自身史上最高順位となる165人中4位の成績をおさめたが、最終模試はもちろん考査本番のペーパー試験においても、ついぞシーソー問題が出題されることはなかったのである。
【完】
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