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日常を離れることが、育児に疲れた日々を救う。

「毎日同じことの繰り返し。今日は家の外の駐車場にテーブルを出してご飯を食べよう?」

そう、妻は言い、今日、ぼくらは家の前の小さな駐車スペースから車を動かして、空いたスペースにコールマンの折りたたみテーブルを広げ、キャプテンスタッグの椅子を出し、ご飯を食べた。

夏の終わりの風が気持ちよくて、疲れた体にビールが染み渡って、いつもならイライラしてしまう子どもたちの止まないおしゃべりも、今日は、いつもより心穏やかに聞くことができた。

そう、日常を離れることが育児に疲れたぼくらの心を救うんだと思う。

ついこないだの金曜日の朝、ぼくは精神的に疲れ果てて、働く気が全然起こらなくて、パソコンを前にすると、めまいを何度も感じた。

(これはまずい)と、以前、育児疲れで軽い鬱になったぼくは思い、午後に休みを取り、小さな湖がある近くの大きな公園に足を運んだ。

その公園はかなり大きくて、デイキャンプができることが有名で、遠くからも人がたくさん訪れていた。

平日の金曜日の午後、コロナの影響もあって人はまばらで、一人でハンモックに揺られたり、小さな火を起こしてちょっとした料理をしている中年男性が何人かいるくらいだった。

ぼくの前にも後ろにも誰もいない草原を黙々と歩いていると、不思議な気持ちになった。

なぜなら、この道はいつも子どもたちと一緒に歩いてるからだ。

子どもも妻もいない。たった一人でここを歩いていることが信じられなかった。

同時にぼくは、ずっと一人になりたかったんだと気が付いた。

一人でここを歩きたかったんだって。

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一人で伸び放題の草っ原を歩きながら、一人でちょっと居心地の悪いハンモックに揺られながら、一人でアーモンドチョコレートを食べながら、一人でさざなみ打つ湖面を眺めながら、一人で上野千鶴子さんの「女ぎらい ニッポンのミソジニー」を読みながら、ぼくは色々なことを考えた。

今の自分の生活、日本の家族の歴史、過去の歴史(家族社会学という視点での)の中で自分たちの時代はどう位置付けられるのか、そして、これからの家族はどうすれば楽になるのか、そしてこれから自分がやりたいこと。

時間にするとたった3時間半だったけれど、それで十分だった。

自分の中に溜まっていた澱のようなものがきれいになくなったのを感じた。

たとえ、毎日の生活をどれだけ楽にしても、どれだけ快適なものにしても、毎日毎日同じことを繰り返すことは、ちょっとずつぼくらの心を傷つけていくんだと思う。

たまにこうやって充電して、自分の体の中に溜まったホコリを外に出し切って、空気を入れ替える必要があるんだと思う。

小さな子どもが3人もいると、気軽に旅行にもいけないけれど、ちょっとした時間の使い方で「心」はどこにでもいけるんだと思う。

今日は、Netflixで「ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから」を観た。

この「体験」もまた、ぼくを遠いところに連れて行ってくれた。

たまには家の外にアウトドアテーブルを出してご飯を食べたり、仕事を休んで自然の中を歩いたり、心の琴線に触れる映画を観たり。

日常をちょっとだけでも離れられるような、そんな工夫が毎日の子育てで気を失いそうな生活をしているぼくらには、必要なのだと思う。

あなたにとっての、日常を離れる工夫はなんですか?

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