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ぼくは妻に”自分の気持ち”を伝えたくて、noteを書いているのかもしれないという話

「こんなに夫婦のことを書かれて、奥さんとしてはイヤじゃないんですか?」

インタビュアーの方がそうたずねると、妻はこう言いました。

「直接言われるんじゃなくて、ブログなどの媒体を通してわたしへの愛情を目にすることは、単純に嬉しかったですね」

以前、とあるwebメディアの方が、ぼくら夫婦に関する記事を書いてくださったことがあったんです。

子どもたちの寝かしつけが終わった21時ごろに、ふたり一緒にオンラインでインタビューを受けたんですが、そのときに妻が言ったことをぼくはよく覚えているんです。

ぼくが書いた記事を妻は毎回読んでくれるのですが、「いいこと書いてるね〜」とか「こんなことあったね〜」なんていつも言ってくれるんですね。

ぼくらのことを書かれるのはイヤじゃないのはわかっていたけど、逆にぼくらの夫婦関係にプラスに働いているってことに気がついたのはこのときが初めてだったんです。

ぼくが直接妻に自分の気持ちを伝えることもできるけど、なかなかそのときに言葉って出てこないじゃないですか?

noteを書くときのように落ち着いて考えながらでないと言葉って出てこないので、直接話すよりも自分の思いを伝えやすいんだと思うんです。

たとえばこの記事は”愛とはなにか”ということについて書いているんですが、ぼく普段こんなこと話さないんですよ。

ぼくが”愛について”考えたことなんて、この記事を読まないとたぶん伝わらなかったと思うんです。

それから、妻の”何気ないひとこと”から妻の気持ちを知った話もそうです。

ぼくが妻の言葉からなにを考えて、なにを感じたのかって、なかなか話すシチュエーションってないじゃないですか?

”記事”だからこそ、ぼくも落ち着いて考えることができて、その思考と感情を冷静に妻に伝えられるんだと思うんです。

記事に書いたことを妻に話すこともあるんですが、うまく自分の気持ちを伝えられないんですよね。言いたいことの3%くらいしか言えてない気がするんです。

(わざわざ伝えるほどのことじゃないかな…)というささいな感情の引っかかりってありますよね?

上の記事で書いたような「知らない人の中に入るのが苦手なの」とか「皿洗いが嫌いなの」とか「帰ってくる時間を教えてくれると助かるの」などと妻に言われたときって、ぼくの感情になにかが引っかかったんですね。

でも、それをそのときにうまく言語化できないし、あとから思い出して話そうとしても、”会話”になってしまうと言いたいことの半分も言えなくなっちゃうんです。

そう、記事に自分の思いをまとめるというのは、”会話”じゃなくて”手紙”に近いんだと思うんです。

ぼくは妻への手紙を書いているんだと思うんです。2,000字もの長い手紙を毎日書いてるわけです。

ぼくはこうしないと妻への思いをうまく伝えられないんだと思うんです。

毎日の生活のなかに流されてしまう、ささいな感情の変化。

日常の隙間に落ちて、どこにいってしまったかわからない小さな気づき。

そういったものをていねいに拾って、妻に伝えていきたいんだと思うんです。

逆に考えてみると、妻が”ぼくに対する思い”を記事に書いてくれたら、ぼくも嬉しいんですよね。

例えばこちらの方の記事は、夫への愛が溢れんばかりに書かれていますが、こんなこと書かれたら「一生妻のことを大切にしよう!」って思えますよね?

まずは、声を大にして言いたいことがある。

来世も結婚してーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

いや、来世と言わず来来来世もお願いします。

意地でも、絶対見つけ出して結婚する。(怖いわ)

育休を実際にとってどうだったか聞くと
「後にも先にも、家族皆で過ごせるこれ以上充実した日々はないと思う」
と言ってくれて、私も同じことを思ってたのでこの人と結婚することができて、幸せだとしみじみ感じた。

そんな当事者意識を持って共に子育てに励んでくれている彼に、来世も私と結婚できるで賞を、感謝と共に添えときます。

産後の恨みは一生なら、産後の感謝も一生

ですね。

ぼくの知り合いに妻に言いたいことがあるときにはメールを書いたり、手紙を書いたりする人がいるのですが、その方がうまく妻に気持ちが届くようなんです。

もしかしたら、夫婦って直接対話することも大事だけど、本当に思っていることを素直に伝えたいとき、自分の気持ちをわかってもらいたいときは、手紙をしたためるようように文章をつづった方が相手に届くのかもしれませんね。

もしかしたらぼくは、妻に”自分の思い”を知ってもらいたくて、ぼくのことを”わかって”ほしくて、こうやって記事を書き続けているのかもしれないです。

本当は言いたいけど”会話”のなかではうまく伝えられないことを。

本当は妻を大切に思っているということを。

誰よりも大切な存在だと感じていることを。

妻が傷つくときは、自分の身が切られたように痛みを感じることを。

恋愛を超えて、愛というつかみどころのないものを、妻との生活の中で感じていることを。

会話ではどうしても伝えきれないこの思いを、ぼくは妻に伝えたくて記事を書いているのかもしれません。

そして、冒頭のインタビューで妻が言ったように、そのぼくの思いはnoteを通して、ちょっとずつ、だけど確実に妻に伝わっていたんだと思うんです。

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