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明治時代、モラハラ夫は法律で守られていた。今を生きるぼくらができること。

こんにちは。

引き続き、家族社会学にハマっています。

今日は、モラハラ夫について、家族社会学の観点から思うことを書いてみようと思います。

実は、知り合いの夫が超絶モラハラ夫だったようで、めでたく離婚することになったり、他にもモラハラ疑惑のある人間も近くにいたりと、最近気になっているトピックだったりします。

モラハラは家父長制の誕生に起因する

モラルハラスメント(仏: harcèlement moral、英: mobbing)とは、モラル(道徳)による精神的な暴力、嫌がらせのこと。俗語としてモラハラと略すこともある。モラル・ハラスメントの加害者は、自分が「常識」であり、真実や善悪の判定者であるかのようにふるまい[33]、優れた人物であるという印象を与えようとし[33]、自分の欠点に気づかないようにするために他人の欠点を暴きたて[34]、称賛してもらうために他人を必要とする
(出典:Wikipedia

モラハラの定義の一つである「自分が常識であり、真実や善悪の判定者であるかのようにふるまう」ですが、これについて、日本の家族の歴史から見ていこうと思います。

昨日の記事に書いたように、古代社会は農耕社会であり、女性も子供も有効な働き手であり、「家族」としての絆よりも、集合体としての絆が重要視されていました。

村落の全員が食べていくためには、共同体の全員が団結して農作業にあたる必要があったためです。

ですが、平安時代になると、徐々に「父親がえらい!」的な家父長制が生まれ始めました。

その始まりは官僚の世襲制でした。

農作業などの「経済生産の現場」から離れた、官僚のような仕事においては男性の政治的支配が、緩やかに生まれ始めたのです。

9世紀以降に、私有財産の概念が生まれ、その管理のために男性が政治的な仕事を行うようになりました。

政治的な仕事というのは、家族全員がお米を育てるような「生産」の仕事は違い、個人で行うことができる仕事です。

そして、農作業のように自然環境に影響されることもないため、一度その仕事につけば、一生安泰でいられるわけです。

そして、その地位を確実に自分の子供に継がせるために、官僚のルールを変え、政治的地位は男子にのみ継承できるようにし、妻には複数の夫を持つことが禁止されるようになりました。

まさに、これが「親父がえらい!男がえらい!」のモラハラの起源ですね。

さらに時代は進み、250年続いた江戸時代では、平和であったがために、武士の仕事は戦(いくさ)から官僚的な仕事へと変わっていきました。

「老中」「目付」「奉行」という役職を時代劇で聞いたことがあるかと思いますが、ああいった役職につくことが、食べていくことにつながる時代でした。

そして、こういった役職は個人ではなく、「家」に紐づけられるようになりました。

役人や官僚の収入は、役職に応じた職禄と、家柄(先祖の手柄)に応じて決定されました。

「御家断絶!」なんて言葉が時代劇にも出てきますが、子供ができないとその家族は収入が途絶えてしまうわけです。

そのため、血統を途絶えさせないことが、生きていく上でとてつもなく重要なものになり、そうであるがために、家族においても家父長制や男性支配的といった風土が生まれました。

モラハラ文化を決定づけた明治民法

古代社会、平安時代、江戸時代と徐々に男性支配的な文化が日本に定着し、それを決定づけたのが明治時代です。

明治時代、国民が守るべき民法の中に、ついに家父長制が法律として盛り込まれました。

具体的にはこういった内容です。

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