共同管理人のれなです。
今宵も「眞弓さんといっしょ」へようこそ!
2回目の今回、お伝えするのは、5月6日のおしゃべりです。連休総仕上げ!みたいなこの日は、初回のnoteの仕上げを兼ねて、昼下がりにオンラインで集合しました。
ちなみにこちらの連載、眞弓さんのおしゃべりをそのまま書き起こし、意図が掴みづらいかなぁと思った部分だけ、後でご本人に説明してもらい最低限加筆するスタイルでお届けしています。
みなさま、味わい深い眞弓節をどうぞ存分にお楽しみください。
では、いっきま~す!
この日聴いてみようと思いたったのは「保健師として活躍していた眞弓さんが、患者の立場になって気づいたこと」。以前、眞弓さんがぽろっと漏らしたことがあり、気になっていたのです。
思い当たることを、あれかな、これかなと逡巡していた眞弓さん。突然、こんな問いかけをしてきました。
ん!?「寄り添う」!?
眞弓さん、いきなり、私の人間性を試すような質問で飛ばしてきました汗。
人と向き合う仕事において「寄り添う」という考え方は”スピリット”として大事なこと。本業のメディアの仕事でこの言葉を使う機会も少なくありません。一方で、いざ使おうとするとどこか「おしつけがましさ」のようなものを感じて躊躇してしまう表現でもありました。
漠然とこの言葉に抵抗を感じていた私に対して、眞弓さんはまず、そもそも「寄りそう」という”何か”に求めるものは人によって違うのではないかという疑問を投げかけてきました。
というのも・・
寄り添う介護、一人一人に寄り添う、命に寄り添う、さらには寄り添いロボットまで。”寄り添う”という言葉は、これまでも今も(そしてきっとこれからも)世の中にあふれている。
けれど、患者に接する「保健師」の立場から、「患者」の立場に自分自身がなって「あちこちであたり前のように使われている”寄り添う”という言葉を使っていいのは、本当はどういうときなんだろう」と以前にも増して強く考えるようになったというのです。
眞弓さんは、20代のころから市役所で保健師として働く中で「寄り添う」という言葉について感じてきたことを一つ一つ、話してくれ始めました。
「市役所から来た人」というだけでも相手のハードルはぐっと上がり、本音を聞くことさえままならない。にも関わらず、そもそもだれかに「寄り添う」ことなんて本当にできるのか。その葛藤は、眞弓さんが、長年公務員として地域の人々に”寄り添う”理想の形を追いかけ、試行錯誤してきたことを感じさせました。
そして話題は、当時眞弓さんたち保健師さんが担当していた「家庭訪問」の話に。
眞弓さんがどんな状況でも逃げだすことなく、「寄り添う」人であろうとしてきたであろうそのエピソードは、人間や動物の汚物に囲まれ、綺麗事では全く語れないもの。でも決してだれかに強制されたのではなく「必要としてくれる人がいるのであれば、どんな場所にでも行って、話をして、必要なケアにつなげていく」ことが自分の仕事だと考えてきたのだそう。
おしゃべりの後半、眞弓さんは、「寄り添う」という行為について考えを深めるきっかけになる、あるエピソードを話してくれました。
眞弓さんが長年経験してきた「寄り添う」現場のすごみと覚悟!何年という自分の時間を相手と共有して「寄り添おう」とする現場の時間軸に私は圧倒的にうちのめされ。
耳ざわりがよくて優しげでいながら、時に押しつけがましくもなりかねないなんて思っていた「寄り添う」という言葉の正体、眞弓さんの中の定義をちゃんと聴いてみたくなりました。
「寄り添うという行為にはコレという定義があるのではない。出発点があるだけだ」
眞弓さんから返ってきたのは、そんな答えのような答えではないような、でも実はもっとも正解に近いような気がする、ちょっと意外な「寄り添う」の定義でした。
今、どこかに「寄り添う」という行為を必要としている人がいるとすれば、「あなたの欲しい”寄り添う”はこれでしょ」と一方的に他人からプッシュされるのではそのニーズが満たされることはきっと難しくて。
大切なのは、これからどんな風に1分1秒を生きていこうか、お互いに気づいたらいつのまにか話しているような関係、「今からお茶でおやつにする?それともコーヒーにしよっか?」みたいなやりとりも含めて、あたかも息をするように、ごくごく自然に対話をしながら本人が望む選択をして、一緒に次の時間を作っていけるような関係性なのかもしれない。
そういえば、前に眞弓さん、「訪問介護にきてくれる若い人の中に、いつも自然で、なんでも話せちゃう子がいるんだ、とにかく自然なの。こういうのって年齢や歴じゃないんだよね」って話していたなぁ・・・なんてぼんやり思いだしながら、そんな思いに至りました。
ところで、「保健師の眞弓さんが患者になって気づいたこと」。
ご本人によると、「まだまだ山ほどある!」そうなので、また別の機会にたっぷり聞きますね笑。きょうはここまで。おやすみなさい。
※記事の内容は、執筆者個人のものであり、所属する組織や団体のものではありません。