「Jazzは民主的」「Jazzは禅」トーベン・ヴェスタゴーの世界 【その3】
トーベン・ヴェスタゴーのウェブサイトの表紙に書かれたこの文言。
彼の、ジャズ、そして音楽と向き合う姿勢を如実に表す言葉です。
デンマークでも、多くの人たちに愛されているジャズ。
サッカークラブやハンドボールクラブと同様に、多くの町にミュージックスクールがあり、気軽に楽器演奏や歌うことについて学び、生の音楽にふれる機会が身近なデンマーク。
こうした環境で、ジャズベーシストとしてだけでなく、ミュージシャン、作曲家、音楽を教える教育者としての役割も担うトーベン・ヴェスタゴーに、ジャズについて、音楽について話を聞きはじめたら、話は禅、そして教育にも広がっていきました。
今日は、インタビュー【その3】をお届けします。
デンマークの音楽教育学
ともこ:ところで、音楽教育学についても教えてもらえませんか?デンマークでは、音楽教育が日本よりはるかに重要視されていると感じるんです。例えば、私の息子もミュージックスクールで歌や楽器を習ったり、高校でも音楽を専攻していましたが、音楽の知識や演奏方法だけでなく、音楽が社会や「あなた」に与える影響についてもフォーカスしているように思うんです。音楽を通して、あなた自身がどう感じるか、という。デンマークの社会にとって、音楽教育というのはどういう意味を持つのでしょう?
トーベン:まず、音楽というのは実践です。楽器を習う時は、その楽器をより上手く演奏できるようになるために学びます。でも教える側は、たくさんの人に教える時は、一度にみんなに教えられる方法で教えることになりがちです。僕が音楽アカデミーで教え始めた当時、一番重要だったことは、どこで、どれくらい演奏した経験があるかが書かれたCVだったんです。つまり、その人が教えることが上手いかどうかは問われていなかった。単純に、その楽器の演奏が上手なら、教えるのも上手いだろうという発想だったんですね。でも、必ずしもそうではなくて、たまたま演奏も教えるのも上手い人もいれば、そうでない人もいる。
ともこ:スポーツと似ていますね。サッカーだって、選手として上手い人が、いい監督になれるとは限らない。
トーベン:そのとおり。プレーヤーとして上手くても、それをうまく人に伝えられるかはまた別の能力だからね。そこで、またデンマークの民主的考え方の話になるんだけど、20世紀には、様々な教育が台頭してきた。たとえば、1920〜30年あたりには、デンマークにアメリカン・ジャズが入ってくるんだけど、その即興的演奏に多くの人が魅了されたんだよね。デンマークの音楽教育者のべアナード・クリステンセンは、子どもたちが即興的演奏ができるような学校をつくったんです。そんな場所は、それまでデンマークには存在しませんでした。それまでは、子どもは、楽器が弾けるように習う、それだけでした。ジャズの、自由で即興的な演奏の魅力が、音楽教育の中にも取り込まれていったんです。
ともこ:それはいつのことですか?
トーベン:1950〜60年あたりです。その当時の教育も、より子ども自身にフォーカスがあたるようになってきていました。子どもの世界を出発点にしようというように。そのあたりから、教育も変わっていきました。では、どうやって子どもの世界を起点にするかということが、80年代により進化したんです。それまでは、一般教育学として、幼稚園や学校などで使われてきた考え方が、音楽教育学にも、子どもとの接し方について応用されるようになりました。例えば、誰かに教える時、大事なのは、教える先生が、教える対象の子どもの世界に関心を持つことなんです。どんな音楽が好き?それはどうして?なにを、どんなふうに上手くなりたい?といった具合にね。デンマークのミュージックスクールの考え方は、生徒の視点をとても重要視しています。何かをやらなくちゃいけないから習うのではなく、自分自身が楽しいと思うから習う、その気持ちを助けて、より楽しんでもらうというのが大事なんです。もちろん、プロの目で見れば、こんな演奏をしたいのなら、これができるようになるといい、という部分もあります。もし、ジャズを上手くなりたければ、コードやメロディ、リズムを知る必要がある。ジャズを上手くなりたいなら、必ず学ばなきゃいけないことがあるけれど、最初はそこじゃないところから始めるんです。こういうやり方や考え方は、デンマークの社会では広く知られ使われている手法です。いずれにしても、デンマークの民主的な考え方は、子どもの世界にも大きく影響しているんです。とても大切で、価値のあることとして。
だから、僕が音楽アカデミーで教えるのは、他の人に音楽を教えることが、経験的にとても楽しいと知っているからだし、多くの場合、そこから自分が学ぶことも多いんです。自分と違う誰かにわかってもらうためには、少し違うやり方で説明する必要があるでしょう。そうやって説明しようとしている時に、それまでには見えていなかった考え方に気づく時があるんです。それから、いくら音楽を教えていると言っても、すべての音楽を聴いて知っておくことは時間がなくてできないんだけど、若い人たちと接することで、今、起こっていること、今、どんな音楽が聴かれているのかを知ることができるんです。だから、教えながらも、教えている対象の若者から、たくさんのフィードバックをもらっていることになりますよね。音楽アカデミーでは、音楽の先生になる人を教えることもあるわけだから、当然そういうことは大事になるし、僕のように、長年音楽に携わる人は、ある時点で必ず、なんらかの形で音楽を教える機会を得るものだと思うんだ。マスタークラスや、ミュージックスクール、個人レッスン、形はいろいろあるけれど。自分も演奏しながら、同時に誰かに教えるということが起こる。
ともこ:デンマークではそうなんですね。
トーベン:うん。僕も他の人も、音楽アカデミーで教えるときには必ず学生にそう伝えます。よく、若者は「キャリアを20年とか積んだら、その時は自分は人に教えたりしない。もっと大きなところで演奏する、偉大な演奏家、作曲家になるんだ」と言います。それに対して、僕たちは「それは素晴らしい!でも、君たちもいずれ必ず教える立場になるんだよ」と話して、そういうことも選択肢に入れておいたほうが、より人生が楽しく豊かになるんだと伝えています。事実、ほとんどの人が、教えるのは楽しいと実感していますね。
音楽ってなんだろう、っというのは、自分が長い長い時間をかけて関わってはじめてわかってくるものなんだよね。今の時代は、いつも「はい、次!」って先に進むことを求められるけれど、その道で上手くなりたければ、そこに腰を据えて取り組むことが大切で、それは時間はかかるものだし、よい教育者になるのも時間がかかるものなんだ。僕自身だってまだまだよい教育者として完成していないし、今でも毎回、いろいろな人に教える度に何かを学んでいるよ。
ともこ:そのような考え方は、禅に近いですよね。私が学んでいる鈴木俊隆老師も「初心」「空(エンプティ)の心」の大切さを説いています。そして、そういう感覚を、よくデンマークの人に見ることが多いんですよね。
トーベン:それはおもしろい。あなたは、僕とは違った見方でデンマークという国を経験しているからね。
ともこ:私は、これまでに様々な分野の、いろいろな人にインタビューしてきていますが、例えば、サッカーのトップ選手であっても、同じようなことを言っているのを聞くことが多いんです。彼らも、子どもや若い世代に教える時、いつも何か自分にとっての学びもあると言っています。それがおもしろいから、教えることはやめられないって。何人かのシェフに話を聞いた時も、同じようなことを話してくれました。デンマークの人は、ある程度のその世界でキャリアを築いても、そのポジションにこだわらず、別の顔を持つ人も多いですよね。子どもたちに教えたり、ボランティアなど、いつもやっていることとは違う活動をしたり、とてもフレキシブルにやっている。でも、大事なことはひとつ。そういうところに、禅の思想を感じてしまうんです。
流れ続けること
トーベン:なるほど、おもしろいね。僕にとっては、「流れ続ける」ということなのかな、と。
この部屋の壁にブルース・リーのポスターが貼ってあるんだけど、見えるかな?彼の言った有名な言葉に「Be like water, my friend(友よ、水になれ)」があるけれど、それは、今起こっていることに順応できるということだよね。もし、僕が「俺は作曲家だ」とか「ミュージシャンだ」「私のステータスはこれだ」と言った途端、その形で固まってしまう。これは、禅的とは言えないよね。年齢を重ねるほど、ステータスは確立されがちで、なかなかそうならないでいることは難しいんだけど、でも、自分の職業である音楽を考えた時、自分の経験で言うと、流れ続けることがとても大事なんだ。なぜなら、そうしなければ、そのまま恐竜のようになってしまって、ある日彗星が飛んできたら死んでしまう。いずれにしてもいつかは死ぬんだけど、それでも、「過去の人」にならず、今を生きるためには必要なことだと思うんだ。
それともうひとつ、音楽の、特に教育を考える上で、「伝達すること」は大事なことなんだ。例えば、音楽を演奏する時、聴衆に伝えようとするし、ある時は、これから自分で演奏しようとする人に伝えることもある。ひとつの音楽を、伝えようとする相手や背景、文脈によって伝え方を変える必要がある。「今日は聴きに来てくれてありがとう」とライブで聴衆に話すように、それぞれに対象や枠があって、ここで伝えたい大事なことはなにか、ということを理解できていないといけない。それが、音楽を教えるときも同じことで、今度は生徒に対して「こんにちは。君は誰?君はどんな世界に生きているの?僕の専門性を使ってなにをどんなふうにお手伝いできるかな?」というように。
そう考えると、音楽には、演奏と教えることという2つの「伝達」の形があるんだよね。
このあとは、デンマークと日本の教育、さらに深い禅と音楽と教育の話へと…【その4】へつづく。