立法学入門コラム 法と詩
法と詩というと少し大げさになってしまうかもしれない。法と詩というと、グリム兄弟の兄のヤーコブ・グリムの論説、穂積陳重の『法律進化論』における記憶法としての詩体法の議論、あるいは詩人で法律家という人(結構多い。)についてなど様々に論じることがある。けれど、ここでは、法と詩について、私の見つけた範囲で、肩がこらない話をしてみようと思う。
最高裁判所裁判官であった真野毅が「俳句憲法・和歌憲法・都々逸憲法」時の法令48号30頁以下(1952)というエッセイを書いている。これは、憲法の条文に、俳句、和歌、都々逸となるものがあるということを書いたものである。しかし、憲法第23条の「学問の自由は、これを保障する。」以外は、うまく区切れていないことになるほか、韻数もあっていないようだけれど。このエッセイの最後には、自作の都々逸が掲げられている。
このエッセイは、内容よりも現職の最高裁裁判官がこういうものを書いていたということに驚く。現在ではこうしたことはないように思うけれど、あってもよいののになと思う。
久留都茂子「法律学を学び始めた頃」時の法令1214号2頁以下(1984)は、日本国憲法施行のあくる年の東大での講義の様子を描いている。その中で次のような箇所がある(同2頁)。
日本国憲法第23条は、先述したように「学問の自由は、これを保障する。」というものである。
現在では、国旗及び国歌に関する法律(平成11年法律127号)で、君が代が国歌として掲載されているので、我が国の現行法令の中に、この場合は和歌というべきだろうが、詩があるといえる。なお、国旗及び国歌に関する法律では、日章旗の制式と君が代の歌詞及び楽譜とを、別記として掲載している。つまり、歌詞に加えて楽譜も掲載されている。国立印刷局のホームページでは、楽譜が載った官報として紹介しており、実際に官報で掲載されたものを見ることができる(国立印刷局>官報のご案内>官報について>楽譜が載った官報)。
戦前の法令では、法文に振り仮名を振ったことでも有名な海上衝突予防規則(明治7年太政官布告第5号)には、その「附言」の中で、船舶の燈火についての規則を記憶するための歌として、「大船にともすともしび上は白みきはみとりに左くれない」という歌が掲載されている。この海上衝突予防規則の附言がどのようなものであったのかは、国立国会図書館のデジタルコレクション中の法令全書に出ている(68コマに出ている。)。このように歌はあるとはいえるかもしれないけれども、一方でこのような意味で俳句はないようである。
こうしたものとは別に、普通の法律の条文で、俳句や短歌になるというのは、結構ありそうにも思うけれども、なかなか見つからない。字数というか正確には韻数というべきだろうが、その検索ができるデータベースもないし、たまたま見つけるということしかないように思う。
五七五となるものでは、民法第882条「相続は、死亡によって開始する。」とか軽犯罪法第1条第22号「こじきをし、又はこじきをさせた者」とかがある。一方、五七五七七できれいに区切りがあるものは見つけられなかった。一応、韻数という点でいえば、請願法第六条「何人も、請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。」が短歌になりうるといえるが、変なところで区切ることになる。
なお、何かの記事で読んだのだが、歌人の俵万智の大学のときの下宿か何かの住所が、「東京都 中野区野方 ○丁目 ○の○○ ○○様方」となっていて、そのまま、五・七・五・七・七になるということである。さすがに歌人だと思う話だが、法律の条文では、なかなかこうはいかない。
外国では、和歌や俳句ということはないが、穂積陳重『法律進化論』で古代においては詩形をなし、したがって、韻律を備えている法律があることを紹介している。なお、穂積陳重の死後にその子である穂積陳重が『法律進化論』などから『続法窓夜話』(岩波文庫)を編んでいるが、その中に、「詩の法律」という項目がある。『法律進化論』も『続法窓夜話』も国立国会図書館のデジタルコレクションで読むことができる。
詩の方で、法に関係するものを、目についた限りでいくつか挙げてみる。
言葉を扱う仕事がら、複数の辞書を持っているが、このうち『新潮 現代国語辞典(第二版)』(新潮社、2000)は用例を出典を示して載せていることに特色があり、「法律」という題名の童謡があるというのをその出典一覧をみて、知ったのである。与田準一編『日本童謡集』(岩波文庫 岩波書店 1957)に載っている(258頁)ということなので、早速、あたってみた。
この童謡は、「かきねの、かきねのまがりかど」で始まる「たきび」の作者である巽聖歌によるもので、昭和12年にロビン2号に掲載されたものである。子供のすることに、「コン、コン、コン。」と咳をして、注意を促す存在があることを示したうえで、「子供のすることやかましく、/どこでもきっと、ついて来て、/なんでもとめだてよくなさる、/憎い神さま家にいる、/変な法律こさえてる。/朝から晩までこさえてる、/コン、コン、コン。」と終わるものである。家庭のしつけなどからくる内面的良心を神様に見立てて、その内容を法律としているということであろう。でも、議院法制局に勤めていた身としては、「変な法律こさえてる。/朝から晩までこさえてる」というのは、なんだか切ない。
なお、『日本童謡集』の索引には、曲譜があれば、作曲者の氏名が出ているのだが、この童謡については作曲者の氏名が付されていないので、曲は付いていないようである。同文庫本の解説によれば、この作品の発表当時には、児童向けの絵画に付けられる読むための童謡も作られていたようなので、そうしたものなのかもしれない。なお、インターネットでも検索したが、この童謡を歌ったものは、見つけられなかった。
歌という意味では、法そのものではなく、ロイヤーについてのものだが、ジャクソン・ブラウンの‘Lawyers In Love’(1983)がある。それにしても、‘Lawyers In Love’の邦題が「愛の使者」である。本当は政治的なメッセージの曲であるけれど、なんだかなと思う。一方で、民法で代理と使者について知ると、この邦題、結構笑える。なにしろ、ロイヤーを使者にしてしまうのだから。
最近では、四元康祐の『単調にぽたぽたと、がさつで粗暴に』(思潮社、2017)に収められている「日本国憲法・前文」という詩がある(42頁以下)。
日本国憲法の前文の「われら」については、このところ考えてきたこともあって、この部分では考えさせられた。
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