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原子力発電所は、好きですか?

原子力発電所による町の発展

原子力発電所は好きですか?

あたしは、好きです。

1月20日 追記
好きかどうか、わかりません。
どっちつかずな感情です。
嫌いでもあり、好きでもある、ぐちゃぐちゃなものです。

実は、原子力発電所に囲まれている町に生まれ付いて、ずっと住んでいます。

祖父の話によると、昔は、町に畑や田んぼしかなくて貧しかったらしいです。

原子力発電所が来てから町は潤って、人が増えたのだといいます。

技術者や、関係者が、原子力発電所を建てに町にやってきますし、仕事も出来ました。

技術者や、多くの観光客が、泊まりで、町にやってきて、経済が回っていたのです。

日本が経済成長していた時期だったのと、まだ交通機関が十分に発展しておらず、日帰りで遊びにいけなかったというのも、あるでしょうが、とても、賑やかだったといいます。

電力会社から、お金が町に入って来るというのもあります。

今は、昔に比べれば、だいぶん、落ち着いて、栄えているといった感じではないようなのですが、生まれた時から、景気のよくなかった日本に生まれ落ちた僕にはわかりませんでした。

なんとか、原子力発電所があるから、町は過疎状態にならずに、生き残っているのかも知れません。

下請けも含めて、町は原子力発電所関連の仕事が多く、なくなれば、多くの失業者が出るのは予想できますし、産業を支えているものです。


使用済み核燃料

原子力発電所で、ウラン233や、ウラン235、プルトニウム239などの核燃料を燃やすと、使用済み核燃料と呼ばれるものが出てきます。

使用済み核燃料は危険で、強い放射能を持つ放射線を出し続けます。

発電所を動かし続ける限り、使用済み核燃料は出て来て、保管しなくてはなりません。

今も、プールの中に、数多くの使用済み核燃料が保管されています。

もし、再稼働をしても、数年後には、プールは一杯になります。


中間貯蔵施設

使用済み核燃料でプールが一杯になると、発電所が動かせなくなり困るので、使用済み核燃料を別の場所に保管しておく施設が必要になります。

中間貯蔵施設は、使用済み核燃料を保管しておく場所なのですが、日本に数少なく、建設が必要なものです。


再処理工場でMOX燃料にしてプルサーマル

使用済み核燃料は、再処理工場といわれるところに持っていかれます。

使用済み核燃料の中にある、プルトニウムを取り出し、二酸化プルトニウムと二酸化ウランと混ぜ合わせて、プルトニウムの濃度を7~8%くらいにした核燃料をMOX燃料といいます。

使用済み核燃料の中から、まだ使える部分を取り出して、生成加工して、もう一回使うというやつです。

MOX燃料を、燃やしてエネルギーを得る事をプルサーマル利用といいます。


だから、まあ再処理工場は必要なわけなんですが、日本は、まだ再処理工場を建設中の段階です。

六ケ所村で作られています。

MOX燃料が日本ではまだ作れないので、外国に使用済み核燃料を送って、再処理して貰っているわけです。

日本で作った方がいいに決まってます。

経済的にも、技術力を上げたり、産業を育てる為にも、自分の国で再処理した方がいいのです。

やろうと思えば、外国の使用済み核燃料を受け入れて、再処理してMOX燃料にするという商売も出来ます。

なので、再処理工場は必須なわけです。


再処理工場に持っていくまでに、保管しておく場所として、中間貯蔵施設は必要ですし、最終処分する前の段階として、保管するのにも、必要です。

中間貯蔵施設の数が足りていないのは、日本の大きな問題の1つで、原子力発電所も大変です。

現実をみてもらうと、動かそうが動かそうまいが、プールの中に使用済み核燃料は存在しており、どうするのか、ちゃんとしない状態はマズいわけです。

もう生み出してしまった使用済み核燃料はなくなりません。

目を背けることは出来ません。

やることはやっておかないと、先延ばしにしても、逆に危険です。


最終処分場

使用済み核燃料をMOX燃料とかにして燃やすと、高レベル放射性廃棄物というのが出てきます。

核のゴミといわれているやつです。

高レベル放射性廃棄物は、地面深くで、厳重に何十万年と保管しておかなくてはなりません。

使用済み核燃料にしたって、高レベル放射性廃棄物にしたって、もうかなりの数があって、最終処分の問題からは逃げられません。

日本は、最終処分場の場所を決められていませんし、世界でも、難儀しています。


海に沈めるということも考えられますが、条約で禁止されています。

遠い昔は海に沈めていたようですが、環境問題がどうとかで、出来なくなったようです。

正直なところ、海に沈めようが、地面深くに保管しようが、危険なことに変わりはなく、一緒な気もするのですが、海はダメらしいです。

福島のことは、悲惨で、本当に、お悔やみと、追悼の気持ちで一杯ですが、発電所から処理水、世間では汚染水と呼ばれているものが出てきます。

燃料デブリという、溶けだしてしまった核燃料を冷やすのに、水をかけると、出てくる、放射能の高い水を汚染水と呼んでいるようです。

処理水を海に流しただけで、世界から、あれこれ言われ、叩かれるのですから、まあ、使用済み核燃料なんかを、海に沈めようものなら、国際的に死ぬわけです。


いずれにせよ、現実的に考えると、使用済み核燃料は、MOX燃料とかにして、リサイクルするにせよ、どうであれ、かなりの数があって、処分するにしても、地面の深くに保管しておくか、海に沈めるしかないわけです。

海に沈めるのは禁止事項ですから、自動的に地面深くに保管しておくしかなく。

最終処分場は、作るしかないというわけです。

ま、宇宙に飛ばすとかという突飛なアイデアもありますが、今の技術力では現実的な話ではないです。


最終処分場は、作れば、新しい産業になりますし、核のゴミを処分できるので、いいものです。

悪いところばかりではありません。

多少、危険ですが、産業になりますし、技術力も向上し、経済も回ります。

外国からも、おおくの技術者が来るでしょうしね。


今はまだ、余裕がある方なのだと、思います。

世の中、どうでもいいことで、溢れてますし、急に、バアーってやってしまわずに済んでいますから。

物騒な事もそうそう、起こってないです。

だから、じっくり、考えられる内に考えて、少しずつ、やってけば、いいのではないのかなあ、と思いました。


あと、僕の書いていることは、全部、素人で、あんま、詳しい仕組みとかよくわかってないので、専門家か、ちゃんとした技術者の人の話を参考にした方がよいです。

まあ、そういう問題があるんだなあとだけ思ってくれたらいいと思います。


僕は、働いておらず、家族に頼り切って生きています。

めちゃくちゃ納税できるほどの、稼ぎはありませんし、国に貢献出来てないです。

たいした義務も果たせておらず、国とか、住んでいる都道府県、町に貢献も出来てないのに、権利だけ主張するのは、どうかと思います。

世の中、本当に困っている人がいます、本当に困っている人が権利を主張するのは、いいのでしょうが、大して困ってもない、ちょっとつらいだけで、自分の役割だとか、義務を果たさず権利だけを主張する風潮はあまり好きではありません。

なので、僕は、皆様に生かされているんだ、ありがとうと考えるようにしています。


あと、全部、ネットで調べた情報なので、あまり、僕のことは、あてにせずに、自分で考えて、悩める人になってもらえたらなあと思います。


1月20日 追記

でも、原子力発電所なんて、ない方がよかったのかも知れないです。

なくなることはないです。

原子力発電所にしても、原爆にして、水爆にしても、人類が一度切り開いてしまった、道なのです。

もう、戻れはしないでしょう。

作ってしまったからには、最後まで、責任を持って後始末しなくてはなりません。

廃炉にするにしても、どうしても、最終処分場の問題は付きまといます。もう、使用済み核燃料がなくなることは、数十万年ないのです。

だから、現実と向き合っていかないと、どうしようもないのだと思います。

人が、自由に好きなだけ電力を使うということ自体が、大きな我儘であり、リスクを伴うものなのです。

だからといって、電力を人類が諦められるでしょうか?

わかりません。

落とし前を付けないといけなくなるでしょう。

長い年月をかけて、原子力発電所は、廃炉になっていって最終的には、廃絶されるのだと思います。

原子力発電所を動かすのに、石油も必要だし、費用も掛かりますしね。

人類がずっと、今の暮らしを維持できるとも思えませんし、いずれは、今の豊かな暮らしを諦めざる負えなくなるのだと思います。

原子力発電所や核と共存していくしかないのでしょう。

ある意味では、僕たちみたいな世代は尻拭いをさせられる世代なのかも知れません。

ただ、大きな問題なく、今、生きていられることに、感謝し、祈っています。


正直なところ、福島がああなった時は、めちゃコワかったです。

ワイの住んどるとこにも、原発あるやないかと思って、もう、気が気ではなりませんでした。

あんな危険なものが、ワイの住んどる町にもあるのかと思って、逃げたくなりました。

原発産業以外の産業を伸ばした方が身のためではないのかと幼いながらに思ったものです。

けれど、大人の事情がわかって来てから、原発による恩恵を受けているのも事実なのだと、感じてしまいました。

だから、正解なんてわかりません。

好きなのか嫌いなのかといわれると、もうわからないのです。

ただ、廃炉にしても、何にしても、もう使用済み核燃料はなくならないということ。

廃炉にも、何十年、何百年とかかるということだけです。

それが、現実であり、反原発も推進もないということです。

やっぱり、原発が好きです。

どうにか、終わりゆく産業にしたくはないのです。

いい技術者が原子力に希望を見出してくれないと、逆に危ない気がするからです。

あと人が作業するのも危険ですので、放射能が高いところは、ロボットでやれるようにした方がよいのではないでしょうか。

僕も、悩んでいます。

悩んだところで、無駄なのですが、原発反対、死ね消えろと思ったところで、消えてはくれませんし、破壊も出来ません。

むしろ、動かしておかないと、燃料が冷やせないので危険なのです。

逃げ道がない、推進でもない。

やるしかない。

やるべきことをやるしかないのです。

現実をちゃんとみれば、わかります。

推進も反対もないということが。

ちゃんと進めるべきことを進めずに、反対だといって、何も進められない方が危ないのです。

使用済み核燃料の中間貯蔵施設にしても、最終処分場にしても、決まっていないのですから、逆に危険です。

再処理工場にしても、ちゃんと加工する技術を継承するためにも、必要なのではないでしょうか。

もう、わかりません。

ただ、原発は反対したところでなくならないし、やることをやらないと危ないということです。

簡単な話ではありません。

動かすのをやめれば、助かるわけでもないです。


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