ファミレス問答Ⅰ
A「私施設で働いてるんですけど、そこで困ったことがあって。利用者の方の一人に「規範に縛られている」人がいるんです。「それはダメだって言ってるだろ。常識なんだよ」というのが口癖になってて。「俺は民主主義が正しいと思ってるから、多数決で決まったことが正しい」っていうのもよく言う。全然意味わからないけど。でも、私はそういうのにいちいち反論してしまって、ついに先週「もう話さない」って言われちゃって」
B「なるほどなあ」
A「でもなんか、そういう反論するたびに私、自分は「「無意味な規範に縛られるべきではない」っていう規範に縛られている」とも思って。どうしたもんかなあって。Bさんはどうですか?規範守ります?」
B「僕は個人レベルの規範なら逸脱大歓迎、社会レベルの規範なら保守的、って感じかな。規範にはある種の階層性があると思ってて。たとえば「Aさんが選挙に行かないことは日本の政治にとって何の影響も持たない」ことは多分事実で、そうなるとAさんにとっては「ある人が選挙に行かないことは実際上問題ない」はおそらく正しいってことになる。でも、それを「個人が選挙に行くことは政治的に無意味だ」ということまで敷衍して、「だからみんな選挙に行かないでいいよ」って言い始めたらまずい。要するに、下の階層(個人のレベルの内的規範)としては「個人が選挙に行くことは政治的に無意味だ」がある意味正しいけど、上の階層(社会のレベルの公的規範)としては「個人が選挙に行くことは政治的に無意味だ」は偽になる。規範性についてはそんな感じかな。だから、自分がその規範を守らなかったとして、誰かに迷惑がかかるかって言ったら全然そんなことない行為については、個人のレベルでは気にしないこともある。深夜3時の田舎の信号無視とかその典型例だよね。でもそれで「信号は適宜無視していい」とか言い始めるのは違う。それは階層が違うからだよな」
A「なるほどなあ。私なんかそういう話を彼ともっと真剣にしたくて、それでいろいろアタックしてみてるんですけど、全然相手にしてくれなくて。もう完全拒絶って感じで」
B「手紙とかで渡してみたら?」
A「あー。それなぜかまったく考えてなかったな。確かに」
B「目の前に身体があるって結構大きいよね。ネットのアンチが目の前に出てきたら何も言えないってのも身体性の問題で、それは身体があると生物的な危機察知がよく働くっていう側面だけど、同じ理由から逆の現象も起きる。身体があるからこそ反発したくなるってやつ。相手の身体的反応で「自分はちゃんと反抗できたぞ」ってのを良くも悪くも確かめられちゃうからな。手紙に向かって反抗しても虚しいだけだから、少しは冷静に対応してくれるかも。でもそれと同時に、そんなん相手したくないわ、ってのも相手の自由だし、そこは尊重したいと僕なら思うけどね」
A「そうですね。とにかく手紙はやってみます」
※この物語はフィクションです。