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拝啓 前時代おじさん

*前のアカウントで書いたやつのお引っ越し


ドラマあるある今から言うよ。
 「若手女優演じる新入社員の主人公が、ニヤついた中年の男の上司に酷いことを言われる」。ジェンダーとか育休とか、現代社会が持っていてアップデートしなければならない、不平等で独善的な旧式の価値観のこと。そんな偏見を叩きつけられ、ひとり涙を呑む女の子。このニヤついた男の上司は、大抵、登場から30分くらいあとに、ドラマツルギーを乗り越えた女の子に圧倒されて終わる。

 私は彼のことをこっそり、「前時代おじさん」と呼んでいる。心ないあだ名なので、みんなには内緒だ。

 この”前時代おじさん”は、主人公を挫折させるため、或いは、読者に社会問題を提起するためだけに登場する。くたびれたスーツを着て、退屈そうに格好悪いことを言う彼を見た私たちは”こんな風にならないようにしよう”と思う。
 こんなダサいスーツを着て、肌がつるつるしてなくて、仕事もできなさそうで、強者にへつらうことしかしなさそうで、不機嫌そうな顔をした、弱いものいじめをするようなダサい大人にはならないようにしよう、と。そうやって後天的に獲得した寛容や思いやりによって、回避された傷がこの世界にはたくさんあるだろう。

 私は昔からジャニーズアイドルのファンで、彼らが役者をする作品は出来るだけチェックしてきたのだけど、彼らは、面白いほどに前時代おじさんを演じない。仮に主人公の敵サイドだとしても、愛嬌程度の醜さだったり、人生を賭した儚い悪役だったりする。なんてったって炎上するからだ。つまり前時代おじさんとは、なんかそういう、都合いのいい存在なのだ。


 でも、前時代おじさんだって、主人公が立ち向かう社会の偏見と、同じような呪いなんじゃないかと思う。

 「なんかそういう」彼らの正体は、実は外見や属性による偏見にマッチングしているだけなんじゃないか、とか。

 日々変わっていく新しい社会の思想についていけなくても、若い子の価値観にぎょっとしていても、なんとか人を傷つけないようにしたいな、と願っている人はたくさんいるだろう。


 前時代おじさんは前時代おじさんの価値観で生きてきて、きっと今20代の私がそうしているように、何かに疑問を感じたり、苛立ったり、都合よくスルーして生きてきたのだ。そして時間が経って、他にやらなければいけないことがたくさん出来て、もういいかな、と思ったんじゃないだろうか。もう新しいことを仕入れるのはいいかな。それより今あるものを守らなければいけないな。
 令和3年に若者をやっている私では気がつきもしないような偏見を、打ち倒して、進化させて、今に繋いだのは彼らだ。その人生自体を愚かなんて思わない。前時代的であることは内省の対象であっても、嫌悪することではない。

 人間はコンピューターほど潔くはないから、古い思い出を削除して、容量をやり繰りして、永久にアップデートし続けることなんてできない。過ちもダサさも、全て積み重なって今を生きている。自分で積み重ねたものも、誰かの所業も、人間は人間によって引き受けられなければいけない。ひとつずつひとつずつ考えて、正していくことしかできない。心底めんどくさいけれど。


 ただ、自分の価値観を振り回して他人を傷つける人が許されることはない、というのも確かな事実だ。
 前時代おじさんを嫌悪しないことは、ひどいことを言った相手に怒るな、ということでは決してない。


 私にも、心ないことをされて、悔しくて情けなくて泣きたいけど泣きたくなくて怖くて怖くてただ唇を噛むしかない時だってあった。「死んで詫びても無駄」と思ったこともある。
 何かに加害されたとき、人は、あらゆる手段を使って、ちょっとズルするくらいの勢いで、その傷を癒すべきだ。

 ただ、我々の生き方に大きな影響与える、或いは与えられるエンタメが「社会問題の提起」として固定化された前時代おじさん像を扱うのは疑問が残る、ということだ。個人としての体験ではなく、「なんかそういう」前時代おじさんが主人公を取るに足らないと蔑むこと、思想の数の暴力で吹き飛ばしてしまうこと、それと同じことを、私たちは彼にすることができる。感想という盾を使って、視聴者としてなら。



 ダイバーシティの前進のためには共通の仮想敵が必要なのかもしれない。けれど、「なんかそういう」個人に対する想像や思いやりを怠ってきたから、主人公は前時代おじさんに泣かされているのではないだろうか。

 ドラマから前時代おじさんを消せと言っているわけではなくて、説明をつけて前時代おじさんの存在に納得したいわけではなくて、ただ、彼に憎しみと侮蔑以外の感情を持てないことが苦しい。愚かしくて無価値と切り捨てなければ、「みんな」が幸せになれないことが悲しい。私にセクハラしてきた最低なあいつを、ドラマの中の矮小な悪役と重ねて打ち倒す行為が虚しい。
 デメリットを無視して温故知新を達成することなんてできないから、古き良きにも未来にも、いつだって痛みがつきまとう。それでも、みんなができるだけ幸せになる方法を、できるだけできるだけ選びたいんじゃないのだろうか。それが文明の前進じゃないのか?

 偏見は実態のないモンスターかもしれないけど、それを内に秘めているのは血の通った人間だ。それは逃げようのない事実だと思う。


今からとても矛盾したことを言います。
私は今小中学生に対峙するバイトをしていて、私も「前時代おばさん」なのだろうな、と思う瞬間がある。
ドラマの悪役じゃなくても、私は彼らからしたら、本当にただただ前時代的なおばさんだ。前時代おばさんは君たちのことが大好きだから、私の道徳になんて早々に見切りをつけて、君たちが1番幸せになれる方法を見つけてほしいな、と思うよ。

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