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第二章1985年~現在 トレーナー活動期第四回 日本代表チーム帯同  1989年 中東遠征

1989年は中東遠征からのスタートでした。

メンバーは

後のJリーグ監督など、そうそうたるメンバーですね

スケジュールは

かなりザックリとしたスケジュールですね((笑)(笑)(笑))

またしても豪華、約一ヵ月の中東旅行・・・

日本に近い環境のヨーロッパでもイロイロと大変だったのに・・・

未知の中東って・・・

最初に行ったイランは、昨年までイラクと約8年間の戦争(1980~88年)が終わった直後の状況でした

街の中には私服なのに機関銃を担いだ人たちがウロウロして、街全体が殺気立っている異様な雰囲気に満ちていました

イスラム原理主義政権なので、女性はブルカを着用し到着してすぐに

領事館の人
「絶対に女性にちょっかいをかけたり、ジロジロ見ないでください!!」
「ちょっかいをかけて、そばに旦那さんがいて機関銃で撃たれても領事館としては何もできません!!」

日本代表チーム
「・・・沈黙」

と、ただでさえ初めての中東で不安な気持ちしかないときに強烈な先制パンチを受け、日本代表サッカーチーム御一行様は到着早々、戦々恐々モードの突入してしまいました(笑)(涙)

試合前の落合コーチ 森選手 松永選手 バックにはホメイニ氏

先が思いやられる・・・

テヘランのホテルはエントランスに四つ星がついてましたが・・・

予想どおり、部屋に入ると電気がつかない、シャワーが出ない等など問題が噴出です(涙)

一番困ったのが、飲み水です

イランサッカー協会が気を利かして提供してくれたミネラルウォーターが・・・
嫌な予感がしてボトルをひっくり返したら、底に溜まっていた“何かが”フワフワッと雪のように水の中を舞ってました・・・

領事館に水の手配をお願いしている間の水分補給は??

なんと≪世界のコカ・コーラ≫でした(笑)(笑)(笑)

試合会場でも驚きが!!

ある試合会場で直前まで降っていた雨でピッチがほぼ水没・・・・
これは試合中止か?

関係者に尋ねると余裕の笑顔で
「今から水を吹っ飛ばすから大丈夫だよ(笑)(笑)(笑)」

我々
「吹っ飛ばすって???」

数分後、なんと軍隊のヘリコプターの轟音が響きわたりピッチの上でホバリングを始めました!!!

10数分ホバリングでピッチ上を行ったり来たりしていると、その風圧でピッチ上の水たまりがキレイに消えていきました

これは、戦争直後の混乱期ならでは可能だったのでしょう

試合前の競技場で


テヘラン イラン代表との試合ベンチ
右から 落合コーチ 望月選手 野﨑 武井ドクター 
警備 横山監督 警備 草木選手 森下選手 梶野選手

また、試合前に並んだ相手選手のスパイクが・・・

右足⇒プーマ 左足⇒アディダス

そして、対戦相手の背番号が・・・

123456789 ⇒ ١٢٣٤٥٦٧٨٩

「٧ (ブイ)をマーク!  ٤ (サンの逆)をマーク棄てろ!」

などなど、試合中のコーチングは大混乱でした(笑)(笑)(笑)

イラン国内をバスで移動している時に大きな油田のそばを通りましたが、近づくにつれ油が燃える独特のにおいと幾つかの油田からは炎と煙がモクモク立ち上がったままでした・・・

戦争による傷跡を垣間見た瞬間でした

イランからシリアに移動したのち、約2週間アレッポという街に滞在しました

丘からの旧市街

テヘランとは違い新市街と旧市街があり、まさに≪これぞ中東≫という綺麗な情緒のある街でした

街の人々もフレンドリーで治安も良かった記憶があります

ハマのノーリア水車13~14世紀
野﨑 鈴木フィジカルコーチ ・・・ 横山監督

時が経ち、2011年ごろからシリアで内戦が始まりテレビで綺麗な街が破壊され多くの人々が難民として非難している姿がテレビに映し出されるたびに、

あの時、笑顔で迎えてくれたホテルのフロントスタッフの皆さんは??

値切り交渉をした露天商の皆さんは??

街を行き交っていた皆さんは??

と沈痛な気持ちになります・・・・・

執筆中の2022年ワールドカップが開催されています
そんな中、ウクライナなど世界では争いが起きています

1日も早く世界に平安な日々が訪れるように祈るしかありません

次回は
1989年 代表南米遠征です


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