生きているからそう言える
「人生なんていうものはね,結局はそういうものなんだよ」
年をとると,ついこういうセリフを言いたくなります。
そういう気持ちは分からなくはありません。こういうセリフを言うのは気持ちいいものなのです。特に,周りに「へー,そうなんですか」と頷きながら聞いてくれる人たちがいればなおさらです。
でも,その人のそのセリフは,頷きながら聞いている人に本当に当てはまるのでしょうか。
次世代性
エリクソンの発達理論の中で,成人期の発達課題になっているのが「世代性 対 停滞」というものです。これは,次の世代を確立させて導く事への関心とされるものです。
単に自分が培ってきたものを下の世代に伝えることというよりは,伝えていくことで自分自身も成長し,さらに良い循環が生まれるような関係性を想定しているようです。
それがうまくいかなければ「停滞」という悪循環に陥るということだと思います。
教える相手
自分が知っていることは,他の人に教えたくなるものです。教えたくなるときと教えたくないときの違いは,どこにあるのでしょう。もしもそこに仲間意識があれば教えようと思いますが,敵対関係にある相手にはやはり教えようとは思いません。また,上の立場に立てば下の立場の人間に教えようとするでしょうが,自分を脅かそうとしていると考えれば,躊躇するかもしれません。
もしも,教えた相手の成功を,自分の喜びとして感じることができれば,先ほどの次世代性のように良い循環が生まれてくるのかもしれません。
アドバイス
教える側は「役立つだろう」と思って情報提供をしているのに,実際にはまったく役立たない,ということも起きます。
ここにもいくつかのパターンがあるように思います。
ひとつは,時代が変わってしまったというケースです。教えている側が過ごしてきた時代の背景要因と現在の背景が変わってしまっているために,アドバイスが役立たなくなってしまうことがあるのです。たとえば,国全体が成長している局面では,何をしてもたいてい成功に結びつきますが,成長が鈍化した局面で同じ事をしていては成功に至る確率は一気に低下します。
ふたつめは,そもそもルールを抽出できていないというケースです。教える側が「これが法則だ」と思っていることが,じつは法則ではなかったという場合があります。「あいつを連れて行くと雨が降るんだよ」といったアドバイスは,本人は法則だと思っているかもしれませんが,都合の良い結果を選んでいるだけである可能性があります。
そしてみっつめは,生存者だから何でもルールに見えるというケースです。同じ道筋を選んだ複数の人がいて,一人をのぞいて残りは全員が失敗したとき,成功した人は「その道が成功に通じていた」と考えがちです。でもその道は,「ほとんどの人が失敗した道」でもあるのです。成功者から見れば,すべての道が成功に通じているように見えてしまうものです。
生存者バイアス
生き残った経緯を過剰に重視して判断してしまうことを,生存者バイアス(Survivorship bias)と呼ぶこともあります。そして時にこのバイアスは,悪いものとされます。
しかし,紆余曲折を経て成功に至ったときに,「今思えばあれがあったから成功したんだよね」と考えることは,別に悪いことではありません。それは,自分自身にとっては重要な語り,ナラティブです。自分を語るときにそのような経路を辿ってきたと納得することは,自分のアイデンティティについて納得するためにも必要なことではないかと思うのです。
でも,それを他の人に伝えるときには注意が必要です。
自分はこういう苦労をしてきたからといって,他の人も同じ苦労をして成功に至るという保証はどこにもないからです。
そして,多くの成功譚にも,同じことが言えます。でも……言っている本人はあまり気付いていないように思います。そして自分も気をつけないとな,と思うときがあります。まったくもって,これは要注意ですね。
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