行動への依存と物質への依存
最近,次の2冊の本を読んで,依存について少し考えていました。
盗撮
1冊目は『盗撮をやめられない男たち』(扶桑社)です。
この本については,以前に記事を書いたこともあります。
依存症ビジネス
もう1冊は『僕らはそれに抵抗できない:「依存症ビジネス」のつくられかた』(ダイヤモンド社)です。
物質か行動か
この2冊の本に共通している内容として……
◎人々はたいてい,何かに依存して生活している
◎何に対して依存するかは,その時々の状況によって左右される
というものがあるように思います。
なお依存というのは,次のように定義される「執着」のことです。
「自分にとって害になるのに,本人の生態にとって欠かせないものとなり,自力でやめられなくなった体験に対する,過剰で機能不全な執着のこと」
(『僕らはそれに抵抗できない』p.86)
自分自身ではもうなかなかやめることができなくなってしまった「こだわり」のようなものですね。
盗撮にハマる
『盗撮をやめられない男たち』の中では,次のように書かれています。何に依存してしまうのかは「ガチャ要素」であり,私たちはたまたま出会ってしまったものに耽溺していくものであるのかもしれません。
このように人は,自分では想像もできなかったものや行為に耽溺し,やめたくてもやめられなくなってしまうことがあります。誰が何にハマるかは,わからない。最近の言葉でいえば「ガチャ要素が強い」とも言えます。その人がいつ,どんな依存症になるかは,当人にすらわからない部分が大きいのです。
(『盗撮をやめられない男たち』p.122)
行動への依存
依存というと,タバコやアルコールや薬物といった「物質」への依存をイメージするかもしれません。でもその一方で,ゲームやスマホ,配信番組やYoutubeなど,行動への依存も最近は話題になることが多くなっています。
しかし,物質への依存も行動への依存も,本質的には同じで「たまたまそうなる」という要素が強いものだと理解しておくことが重要なのかもしれないと,この2冊の本を読んで思いました。
ここで言う「体験」はあらゆるものを含んでいる——何らかの出来事に期待を抱くのも,針や焦げた匙やライターを綿密に並べるのも,そこに執着が生じるならば,依存症となりうる。薬物依存(というものがあるとして)の代表的要因であるヘロインも,小さな行動の連続を通じて身体に入ってきて,依存症を形成する。つまりヘロイン常習も,ある意味で行動の依存症であると考えるならば,薬物依存と区別して行動嗜癖という言葉を持ち出すのは意味がないとピールが主張するのも納得がいく。
(『僕らはそれに抵抗できない』p.86)
もしかしたら,物質への依存を何らかの行動への依存で置き換えることによって,とりあえず危険な依存から脱するということもできるかもしれません。
健全な方向へ
いや,冷静に自分の行動を振り返ってみても,何かに依存している対象がどんどん置き換わってきただけではないか……とも思えてきてしまいます。となると,あとはできるだけ危険ではなく,生産的で,健康な方向への「依存」に振り替えていくことが,人生にとっては重要なのではないかと思ったのでした。
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