ピアジェの幼い時の記憶
今回は,20世紀にもっとも大きな影響力があった心理学者の一人である,発達心理学者ジャン・ピアジェの記憶について取り上げたいと思います。この事例については,これまでにもいくつかの本で見かけたことがあるものです。
今回の内容は,J-C.ブランギエによる『ピアジェ晩年に語る』という本からの紹介です。1985年に刊行された本で,ピアジェや共同研究者へのインタビューと対話で構成されています。ピアジェがどんなことを考えて研究を行っていたのかも語られていますので,貴重な1冊です。
誘拐された
ピアジェはまだ乳母車にのっていたような小さな時に,誘拐未遂をされた記憶が鮮明に残っていたそうです。
さて,私には,それがもし本物だったら,すばらしいはずの子どものときの思い出があります。というのは,ふつうでは記憶のまだない時代,つまりまだ乳母車にのっていて,乳母に散歩させてもらっていた時代にさかのぼる記憶だからです。その散歩は,シャンゼリゼ通り,ロンーポワンのそばで,私は誘拐未遂の標的だったのです。誰かが幌付の乳母車にいる私をつかみました。私はベルトでとめられていて,乳母はその男と戦っておでこに掻き傷がつき,巡査がやってきた時には危ういところでした。で,私はいまだに,それがまるできのうのことのようなイメージをもっているのです。それは男の人がここまでの(動作で示して)短コートを着ていた時代で,小さな白い棒があった等という具合なのです。そして,男は逃げました。(p.172)
実際は
ところが実際には,誘拐事件は乳母の作り話だったそうなのです。ピアジェが15歳の時,乳母からの手紙が家族の元に届けられたそうなのです。
さて,私は少年になるまでずっと,誘拐未遂の対象だったという輝かしい思い出とともに生きていました。ところが,十五歳の時だったか,私の両親のところに,その乳母から手紙が来ました。それには彼女が改宗したこと,そして,自分の罪をすべて告白する必要を感じていることが書いてありました。そして,子ども誘拐の話は,全部彼女の作り話で,おでこの傷は彼女が自分で作ったのでした。また彼女は,勇敢だったごほうびとして送られた時計を返すことを申し出てきました。ということは,この記憶にはみじんも本当のことはなかったのです。ところがこの記憶は非常に真に迫っていて,私はいまだにこの記憶をもちつづけているのです。私はシャンゼリゼ通りのどこでこの事件が起きたのか示せるほどです。しかも全く視覚的に今でも見えるのですよ。(p.172-173)
鮮明な作られた記憶
みなさんには,鮮明な「偽の記憶」をもったという体験はないでしょうか。
もっとも,私たちはあまりに鮮明な記憶を作りだしてしまうので,それが本物であるのか偽の記憶であるのかについて,区別がつかないかもしれません。自分自身が経験したことだと思っていても,実は後から映像や写真や話を聞いて,記憶を再構成してしまっているかもしれないのです。
いずれにせよ私は話を聞いてしまい,聞いたことから,視覚的イメージを再構成したのです。そのイメージがとてもきれいで,今日に至るまで私が経験したかのように残っているのです。
ということで今回は,記憶の話が登場する時に,よく引用されるピアジェのエピソードを紹介しました。
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