人間は死を嘆くのではなく、誕生を嘆くべきだろう。
書留。
なんやろう、この言葉はすっと胸に落ちる。
悲観的になってるわけじゃないけど、死に対しては怖さも嘆きもない。
気持ち的にはキューブラー・ロスの死の受容過程でいう第五段階の受容にある気がする。
生きる意味とか、そんなことを問いながら生きていかなあかんこと自体がもう嘆く理由やと思う。
生きる意味なんかないわ…
そんなことを問いながら生きるから、答えられへんと客観的な価値を見出せへんくて、人生が無意味やと認識させられるんじゃないんかなー。
自分の感覚的には、生きるってのは人間のコミュニティの中でその組織の一部として機能してるだけに過ぎん。
自分の意志を反映してるのが人生なんやから、人生の意味なんか考えてもわからんと思うしな。
そもそもの話、死なんて誕生せんかったら迎えることのない話で、死を嘆くんじゃなくて誕生を嘆けっていうのもその通りかなって思える。
生きる意味といえば、
いつか死ぬのになぜ生きるってフレーズをよく見聞する。
そんなしょうもない質問自分あるいは他人にしてどうしたいんや…って思えてまう。
死ぬのわかってて生きてる理由の答えなんて十人十色やと思うし、同じ人でもその時々で変わるものやと思うしな。
私でいうと今は、読みかけの本があるから、くらい。
本が読みかけの状態でなければいつ死んでもいい。
気になったままってのはちょっと嫌やから、願わくば読みかけの本がない時に…。
難しいなー、こんなんいうと
生きることに悲観的になってるとか、
病んでる風に捉えられるのかもしれへんけど。
どのみちいつかは死ぬんだから、いつ死んでもいいように楽しめばいい。好きなことをすればいいんじゃないのかな。
今回のテーマに全く関係ないけど、
座右の銘って自分の行動の軸になるようなもので、人に聞かれて答えるもんじゃないと思う今日この頃。
ほんでそういうの聞く人に限って座右の銘に聴こえのいい美辞麗句並べる気がする。