真性S女 アトリエ・エス と行く万葉のたび
第三十二回 磐余の池に
万葉集巻三-416、大津皇子の歌を。
ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ
大津皇子の死を被(たま)はりし時、磐余(いはれ)の池の堤にして涙を流して作らす御歌一首。そうです、死刑になるときに詠んだ歌です。
大津皇子の悲劇。これも古代史の超有名逸話でしょう。
天武天皇には、高市皇子、草壁皇子、大津皇子、その他多くのお子さんがいました。
時を見計らい天武帝は、彼らを一同に呼び集め、絶対に兄弟喧嘩はしない、という誓いを立てさせます。
まあ、そうでしょう。壬申の乱の経験者とすれば、自分の子供にはその轍を踏ませたくないと考えますよね。
そして、皇太子に立てたのが皇后鸕野讃良(後に持統天皇)との間に生まれた草壁皇子、まあ当然ですわな。
ところが、同時に大津皇子には「お前に政治は任せる」と言うのです。
大津皇子というのがどういった人物であるかは、ここらを読んで頂ければお分かりだと思います。
まあ、情に流されたとまでは言いませんけど、天武帝もまた人の子の親、こんなところではないでしょうか。
そうしてるうちに天武天皇は亡くなる、そうなったら不安でたまらないのは鸕野讃良ですよ。
一方の大津皇子の元には、新羅僧・行心なる人物が現れ「その骨相人臣のものにあらず、臣下の地位に留まれば非業の死を遂げるであろう」と予言。
そして皇子は謀反を起こすことを決意します。なんとなく、なんとなくですよねえ。
大津皇子は非常に仲のいい姉・大伯皇女を伊勢神宮に訪ね、全てを打ち明けます。
その帰り道、皇子は逮捕されてしまうことになるのです。
実は、大津皇子はもう一人、親友の川島皇子にも謀反のことを打ち明けていました。
その川島皇子が鸕野讃良に洗いざらい垂れ込んでいたために、大津皇子はお縄になってしまったのですが。勿論死刑。
と、長くなりました。歌。
「ももづたふ」は「い」にかかる枕詞。
鴨は当時の大和平野なら、どこでも見ることが出来た鳥。
昨日も見た、今日も見た。けど明日からは見ることが出来ない。
これから死出の旅に赴こうとする24歳の青年の心。
悟ってるか? いや、全然悟ってないですよ、これ。けど、どうすることも出来ないとはだけはわかってる。
こうして大津皇子の霊魂は、吹きさらしの二上山山頂で未だやすまることなく、21世紀の我々の心にもその何とも物悲しい気持ちを訴えかけてくるのです。
この大津皇子の悲劇も非常に現代的ですよねえ。
時代劇定番のお家騒動そのものじゃないですか。
時代劇イコール現代劇。そして、現代の事業後継者争いに言葉もそのまま「お家騒動」と使われているアレです。
ひとりの英傑が安定した状況を作る、そしてその亡き後は必ず反動の争いごとが起きる。
人とは争うもの、なんでしょうか?
で、落としたらキドりすぎ、あはっ!
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