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【代表インタビュー vol.01】世の中に大きな価値を―A3設立以前から変わらない事業への想い【コンテンツIPビジネス】

こんにちは!株式会社A3の広報担当です🌸

株式会社A3は、人々の生活がもっと楽しく、豊かになる未来を実現していくことを目指し、IPを活用し、幅広いプロダクト・サービスを提供しています。
楽しみを創造し提供する事業領域において、世界を代表する企業になるため、多くのポジションで積極的に採用中です!


株式会社A3は、代表・小澤が2012年に一人で起業しました。埼玉県のマンションの一室から始まった当社は、今や年間企画実績1,000件を超える、IP二次利用領域のリーディングカンパニーにまで成長しました。
2023年には、中国への進出を本格的に始動し、新たな挑戦が始まろうとしています!

今回のインタビューでは、小澤社長の学生時代や、起業してから現在の事業を本格的に始めるまでの、挑戦や苦悩もお伺いしました。


代表取締役・小澤 隆史

【経歴】
1976年 東京都小金井市で誕生
1999年 専修大学を卒業
1999年 大手住宅メーカーに入社
2012年 埼玉県川口市で株式会社A3を設立
2016年 キャラクタービジネス本格始動、従業員の本格採用
2018年 東京に本社を移転
2023年 グローバル展開を本格的に開始





自然と組織を先導していた学生時代

――まず社長ご自身のことについて伺います。どんな子供時代・学生時代を過ごされたのでしょうか。

やんちゃな性格で、ごく普通の家庭で育ちました。
スポーツが結構得意で、小学校から大学まで本格的にサッカーをやっていました。市や地区の選抜メンバーだったので、目立つ方だったと思います。学内でも、リーダーシップをとるポジションになることも多かったですね。
ですが、勉強は好きじゃなかったです。サッカー以外もなんでもできちゃうような、ぴかぴかな人ではなかったですね。

――自ら率先して、色々進めていく学生だったのでしょうか

自分から積極的に前に出ていくような学生ではなかったですね。ですが不思議と学級委員長や、学年の生徒会などのリーダー的ポジションに推薦されるようなタイプでした。
自分自身はみんなを引っ張っていきたいと思っているわけではなくて、周りから一歩引いているタイプだったと思います。

下段・左から二番目が小澤社長
大学卒業までサッカーに打ち込んだ


新入社員時代 - 決して出来のいい社員ではなかった

――そんな子供時代を過ごされた小澤社長はどんな新卒社員だったか、社員時代のエピソードをお伺いしたいです。

今みたいに就活用サイトもなくて、調べたりすることがなかったので、とりあえず名の知れた会社を受けていました。色々受けてみて最初に内定をもらったのが、大手住宅メーカーの営業担当でした。

自信満々で入社したものの、成績も良いわけではなく、いわゆる"出来のいい社員"ではなかったですね。いま思うと、たぶん生意気だったからだと思うんですが、とても厳しい部署に配属されたんです。
住宅メーカーの営業というと、本来は展示場に配属され、そこに来られたお客様と商談をおこないます。でも僕の配属先は、地主に対して土地活用を提案する、新規開拓を行う部署でした。

今の時代では考えられないですが、何も教えられないまま「引き合いを取るまで帰って来るな」と言われるような、厳しい環境でしたね。「何千万もするようなものを、どう引き合いを取ればいいんだ」と思いながら、毎日ひたすら飛び込みやテレアポなどの新規開拓営業に明け暮れていました。やけくそになって、その当時の上司に「そんなに引き合いを取ってこいと言うなら、やり方を教えてくれ。その通りにやってみせるから」と言った記憶があります。ほんとバカですよね。
上司や先輩相手にも臆せず意見を言ったり、喧嘩もしたりしましたね。当時は毎日が苦しくて逃げ出したくなるような環境でしたが、厳しい上司や先輩に囲まれて働いた新卒時代は、本当に色々なことを学ばせていただきました。苦い思い出ですが、今となっては感謝しています。
生意気ながらも、たくさんの上司や先輩の方々には不思議とかわいがってもらっていましたが、その住宅メーカーは3年ほど働いたのちに退職しました。

当時のことをフランクに語っていただいた


起業のきっかけ - 当時から変わらない想い

――当時は、起業を考えていなかったのですよね。会社経営を考えたきっかけは何だったのでしょうか。

住宅メーカーを退職してから、その後も何社か転職しました。振り返ると、どの職場でもある程度活躍していたと思います。ただ、結果を出してはいるんですが、ある程度の役職まで上がってストップしてしまうんです。
そこそこできるけど、幹部にはなれない――。今思うと自分では頑張っているつもりが、信頼に至るまでの結果が出せていなかったんだと思いますね。それを何社か繰り返す中で、20代後半から30代前半に会社の立ち上げに参加したり、事業の立ち上げに携わったりするうちに、自分自身も事業を始めたいなと思い始めました。

周りにも何人か会社を始めている人もいて、「やれば?」とも言われてたんですが、特にやりたいこともなくて。そうして35歳になった時にふと、「このままだとたぶんやらないだろうな」と思ったんです。人生一回きりだし、自分で事業をやりたいという気持ちがあるなら、とりあえずやろうと決めました。事業内容は決まっていなかったですが、会社を作らないことには始まらないという考えで、会社を作りました。

「社長になりたい」とかは、あんまり興味がなかったんです。
ただ、会社員時代に事業を作ることに多く携わり、「そんなのじゃ上手くいくわけないじゃん」と思うことが度々ありました。自分がリスクを負ってやっている事業じゃないのでしょうがないのですが、自分の意思決定では進められないもどかしい状況も、「自身で事業を始めてみたい」と思った理由かもしれません。

――「自分ならこうする」と思うことが多くあったのですね。

「自分ならもっと上手くできる」と思っていたのもありますし、「世の中に対して何ができるか」を考えて、世の中に価値を生み出して育てていくことが、当時から好きでしたね。
ビジネスモデルをどう形にするかや、お客さんをどう開拓してどう売り上げを立てるか考えることは、当時から楽しんで一生懸命やっていました。

――現在も従業員研修等で「価値を生み出す」ことの大切さを、強調してお話されていますね。

「最大限の価値を世の中に提供したい」という想いは、現在の経営の軸でもありますが、その想いは当時から一貫しているように思います。
昔から仕事自体が好きなタイプだったので、待遇やワークライフバランス、給与よりも、やりがいを重視していたと思います。
仕事の進め方も、"確実で楽な既存の進め方"より、"難しいけど可能性のある新しいチャレンジ"を好むタイプでした。

「A3の経営においても、新しいことを追い求める姿勢は変わっていない」と語る


手探りでの起業 - キャラクター製品との出会い

――創業当初はどういった事業をされていて、どのような経緯で今の事業にたどり着いたのでしょうか。

やることを決めないまま会社をスタートしたので、最初はできることから始めて、真剣に取り組むべき事業を探している時期がありました。
そんな時に、最後にいた会社の知り合いから、スマートフォンのモバイルバッテリー販売を紹介されました。当時、スマホがちょうど普及しはじめた頃で、モバイルバッテリーも市場に出回っていなかったので、とてもニーズがあったんです。
ただ、正直僕はピンときてなくて、サンプルだけ持って「とりあえず営業してみるか」と家電量販店等に営業してみたんです。どうすれば売れるか、いくらなら売れるかをヒヤリングして、パッケージの作り方もイチから勉強し、制作も行いました。
製品のニーズ自体はあったので、営業先の人に「ヒヤリングした通りに商品を作ってきたので、買ってくれます?」と言ったら、「じゃあ買うよ」と言ってもらいました。半ばその場の勢いから始まりましたね。

当時販売していたモバイルバッテリー
周囲の助けも借りながら、手探りでパッケージ制作も行った

その他の事業も同時並行でやっていましたが、その中でもモバイルバッテリーは特にニーズがある分、競争も激しかったんです。販売価格が下がったりもして、このままだと厳しいなと感じていました。
そんな時、偶然売り場で大人気キャラクターのモバイルバッテリーを見つけたんです。その瞬間、「アニメのモバイルバッテリーを作ったらどうか?」と思いついたのが、今の事業を始めたきっかけです。
早速調べてみると意外とそういった製品はなくて、チャンスだと気付きました。そして、アニメグッズ専門店にリサーチしに行った時、衝撃を受けたんです。お客さんが若い女性ばかりで、レジにものすごい行列ができていました。売り場が大変賑わっていて、これはすごいマーケットだなと感じたんです。「世の中でこれだけニーズがあるモバイルアクセサリー商材が、このマーケットにはまだないんだ」と可能性を感じて、ワクワクしたのを今でも覚えています。

アイデアが浮かんだはいいものの、ノウハウも何もない状態でした。目星をつけたアニメの権利を所有している会社に、テレアポやメールで連絡してみましたが、どこも大企業だったので、当たり前ですが全然相手にされませんでしたね。
そこで、開催されているイベントのブースに押しかけて「どうすれば実現できるか」と、直接相談しに行ったりもしました。


ついにアニメの商品化が実現。しかし――

――直接相談された際は、どのような反応をいただけたのでしょうか。

頑張って商談を重ねるうちに、狙いはすごく良かったので、「面白いね!こんなの出来るの?」と、いくつかの権利元企業様に興味を持ってもらったんです。
しかし、最初は実績もない、ほぼ1人でやっている企業なので、なかなか信用もしてもらえず、商談は進みませんでした。ある日、大手出版社へ当時の人気ゲームとの商品企画をプレゼンしに行った時、いつもの通り「そのゲームとのコラボは難しい」と言われてしまったのですが、可能性がある作品をいくつか紹介してもらったので、大見えを切って「これ全部やります!これくらいは売ります」と宣言しました。そしたら「面白い、やろう!」と言ってもらえて、その担当の方が全作品に繋いでくれたんです。

やり方をいろいろ教わりながらなんとか発売までこぎつけたんですが、お客様からは全然反応がなくて。「ただ商品化して販売するだけじゃダメなんだ…」とそこで気付かされました。全くわかってなかったんですよね。

「あの時は見通しが甘かったですね」と当時を振り返る


運命のタイトルとの出会い

――お客さまからの反応がよくなかった理由はなんだったのでしょうか。

その時は販売の仕方がよくなくて、ユーザーへ発売後の告知もしなかったし、小売店に商品を仕入れてもらおうと営業しただけでした。"単価が高い商品を小売店で仕入れてもらう"という考えが甘かったんです。ネット販売とかそういったノウハウもなかったので、最初は当然売れませんでした。期待が大きかった分、落胆も大きかったですね。悔しくて、夜眠れなかったのを覚えています。
ただ、いくつか企画を進めていたものがあったので「もう少しやってみよう」と思い直し、試行錯誤していくうちに、なんとなく事業のやり方も理解していきました。

そうして、少しずつ数字も上がり始めて半年後くらいに、運命のタイトルに出会いました。
当時、版権元様に商談していた際に「これからこの作品の人気が出るから、これを製品化した方がいいよ」と、リリース前のゲームタイトルを教えていただきました。言われたとおりその制作を進めていたら、ゲームのリリース後、僕らの製品がどこよりも早い段階でリリースされ、大ヒットしたんです。

SNSでものすごい反響があり、たくさんのユーザーのものすごい熱量を感じた時の高揚感は、今でも鮮明に覚えています。この事業の凄さを実感し、「この事業にコミットしよう」と心に決め、いくつか他にやっている事業もやめて、人を採用し始めてチーム作りをし、事業拡大を始めました。

IPの二次利用領域に注力することを決め、順調にイベント出展も増やしていった


なぜこれが売れるのか?お客様がお金で買っているものとは

――製品の大ヒットがきっかけで、本格的に現在の事業に力を入れ始めたのですね。

正直言うと、はじめは僕らが提供している商品やサービスが何でそんなに人気なのか、最初はわからなかったんです。事業の価値を本質的にわかっていなかったと思います。
ですが、僕らが提供している商品やサービスをお客様が喜んでくれていることを目の辺りにしていくうちに、お客様は「物だけ」を買ってるんじゃなくて、感情とか、形のないものも含めて買ってるんだと気付いたんです。僕らはお客様の人生に対して「楽しさ」を提供しているんだ、と。

自分を振り返った時に、好きなスポーツチームを応援したり、旅行に行ったりと「そういった楽しみがないと人生ってつまんないよな」と、改めて思いました。
"楽しみが多いほど、人生は豊かになる――"
僕らは世の中にめちゃくちゃ大事な価値を提供しているんだと改めて実感し、この事業に自分の人生をかけてチャレンジする意味があると本気で思えるようになりました。

当社A3は、やりたい事業があってスタートしたわけではなく、「世の中に対して何ができるか」といった想いから始まり、「どれだけ最大限の価値を生み出せるか」を経営の軸として今までやってきました。その考えは、起業する前から今までも変わっていません。
僕らの提供する価値は、「楽しむ機会を提供する事業領域」と決めました。ただ、「世の中へどんな価値を提供できるか」といった視点は変えずに、事業を固定化させず、世の中の変化に対応しながら柔軟に方向転換し、今後も時代の変化に合った商品やサービスを展開していきたいと思っています。




社長インタビュー第2章では、A3を設立してからこれまでで壁にぶつかったご経験や、従業員の成長戦略についてお話いただきます!


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