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(1)溺れ苦しむ友だち---大儒・司馬光が子供だった頃の英雄譚「砸缸救命」

それは中国の昔々。
北宋ほくそう」と呼ばれている時代。

司馬光しばこうという、それはそれは立派な人物がいました。

彼が子供の頃。
現代まで伝わる、ちょっと危ない出来事があったのです。

北宋ほくそう唐朝とうちょうの崩壊後、五代十国ごだいじっこくという長い分裂の時代が続きました。この動乱を終結させ、創建された統一王朝が宋朝そうちょうです。
司馬光しばこうの生涯は西暦1019年〜1086年。
その子供時代なので、大体1027年ぐらいだとしましょう

日本いえば平安時代・後一条ごいちじょう天皇の治世でした。
絶大な権力を誇った藤原道長が亡くなる、ちょうど一年前にあたります。

この宋朝も末期になると、金という国に滅ばされ、南方で王朝を再興するハメになります。
この滅亡前が北宋、滅亡後を南宋と呼ばれているのです。

ある日、司馬家しばけの庭園。

そこに(司馬しば)こうを含め、遊び仲間の男の子たち五人。

皆そろって捉迷藏ツォミィツァン(目隠し鬼ごっこ)をしていました。


ある子はしゃがみ込み、鬼の手を避けながら、声を掛けて呼び寄せたり。

また別の子は鬼の近くにいながら、背後にそろりそろりと回り込んで、ゾクゾク感を楽しんだり。

司馬光しばこうは一番の年長でしたが、手を叩き「こっちこっち」と屈託なく笑っています。

みんなとても愉快に遊んでいました。

※庭園司馬光しばこうの家は代々進士しんし(最も難しい官僚試験の合格者)の家系でした。いわばエリート階級であり、邸宅には広い広い庭園(園林えんりん)があったのです。

仲間の中でも臆病な子。
彼が捕まらないようにこっそりこっそり、築山つきやまに登っています。

築山つきやま園林えんりんの飾りとして、山を模して人工的に作られたもの。中国語では「假山かざん」という。

「さあ、ここならもう安心だ!ここまでおいで!」

築山つきやまは、子どもたちの身丈より高く、大きな岩で出来ていました。

たしかにここなら捕まらなそうです。


人工的な園林えんりんといえど、あたりには竹林や芭蕉ばしょうが生い茂り。

かたわらには、水の満ちた大きな水缸みずがめが、さながら湖のようでした。


しかし、足元は少しフラつきます。

中国庭園の築山つきやま假山かざん」に使われる岩は平たくありません。

奇岩きがんという、仙郷せんきょうを思わせるゴツゴツ尖った、変わった岩も多かったのです。

水缸みずがめ……かめと同じ。液体などを貯めておくの使います。基本的には壺と比べ、もっと大きいものをカメと呼びます。

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