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(3)あとがき---大儒・司馬光が子供だった頃の英雄譚「砸缸救命」
こんにちは。藤と申します。
今回のあとがきは主人公の少年・司馬光が大人になり、そのあとどうなったかをご紹介しましょう。
司馬光の最も有名な功績として、全294巻からなる歴史書の大著『資治通鑑』があります。
幼少の頃の司馬光は物覚えが悪く、兄弟の仲でも出来が良くなかったらしいのです。
しかし、どうやら歴史は好きだったらしく。
三国時代の有名武将・関羽がよく読んでいた歴史書としても有名な「左氏春秋」。
これを7歳で覚えて、大人にも話して聞かせられるほどだったと言います。
そんな歴史好きですから、とんでもない物量の壮大な仕事だろうと、司馬光にとってはやり甲斐のある仕事だったのでしょうね。
トラブルがあり政界から一度退いたものの、最終的に宋の宰相になりました。
司馬光の死から四十五年後。
日本にも多大な影響を与えた朱子学の創始者・朱熹も、司馬光をこう評しています。
原文:温公可謂知仁勇。 他那活国救世處是甚、次第其規模稍大。 又有学問、其人厳而正。
意訳:「温公(司馬光)は知・仁・勇を備えていると評せる。彼の国を活かし世を救うという志は甚だしく、生涯をかけて強まるばかりだった。また本当の学問を修め、その人柄は厳正であった。」
※温公……温は司馬光の字(本名以外に普段呼ばれる名前のこと)。公は尊称。
※知・仁・勇……官僚試験「科挙」で丸暗記する必要がある書籍の内「中庸」において、重要な徳とされている三つです。三達徳ともいいます。
※朱子学の創始者・朱熹………朱子学の誕生は北宋が倒れて南遷し、王朝が復興された南宋時代のことでした。
南遷…国家機能を南へ移すこと。
朱子学は儒教を基にした新しい学問体系のことです。日本では約500年後の江戸時代に広く浸透し、その思想は明治維新にも影響を与えました。
しかし、これほど高い評価を得ている司馬光ですが。
彼について語る時にはずせない要素があります。
それが「旧法派と新法派の政治的な争い」です。
この政治闘争は司馬光の評価を二分し、国家の存亡に繋がる大問題へと発展することになりました。
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