シベリウスの足跡を訪ねて 3:生家とシベリウスミュージアム
「フィンランドを代表する作曲家シベリウスは、ほとんどいつも金欠だった!」 って週刊誌の見出しみたいですけど(笑)
マルッカ紙幣にも肖像が描かれ、亡くなったときは国葬が営まれ、美しい邸宅「アイノラ」で暮らしたのに、どうして??
お金がなかった訳ではなく、使い過ぎらしいです、はい。
シベリウスが2歳の頃、医者だった父親はチフスで亡くなります。父親が浪費家で多額の借金を残して亡くなったため、家族は破産の憂き目にあいました。子ども達には破産したことを伏せて育てたのに、父親に似て成長したなんてDNA恐るべし!?
生家はハメーンリンナという町にあります。3大古城のひとつ、ハメ城が有名ですが、シベリウスが暮らした頃はロシア軍の駐屯地があり、オペラハウスや劇場などはない地方都市でした。ヘルシンキのオーケストラでも、ほとんどがドイツ人演奏家だったといいますから、フィンランドは音楽的には辺境の地だったのですね。
シベリウスの生家
若きシベリウスはベルリンに留学したとき、たった1か月で2,000マルクの奨学金の半分を使ってしまいました。 オペラを観るのに、学生が買う1マルク50ペニヒの天井桟敷ではなく、10マルクもする特等席を買ってしまったり、タキシードやシルクハットを仕立てたり・・・生ガキまで食べちゃう贅沢三昧。 2000マルクの追加送金を頼み、家族は4か月もかかってお金を作りました。
続くウィーン留学でも、ついたあだ名は伯爵。
金銭感覚以外にも、ワインは借金を忘れさせてくれるもの、また本番前にシャンパンを半ボトルもあけてしまうようなあがり症だったそうです。
そんなシベリウスを、家族はもとより多くの人が支え続けました。最終的には大統領と同じくらいの年金をもらえるように議会で取り計らったり、熱心な支持者のカルペラン男爵が、今でいうクラファンみたいな資金集めをしたり・・ それはシベリウスの音楽そのものの素晴らしさと、独立の機運とともにフィンランドのアイデンティティを確立したいという時代の求めによるものでしょう。 フィンランドにとって、シベリウスはかけがえのない芸術家でした。
続いてシベリウスの名を冠した博物館へ。
弟のクリスチャンは、父と同じ医師になりました。アル中と脳の損傷に関する論文も書くなど、音楽家になった兄よりは節度?のある人生だったはずなのに、53歳の若さで亡くなります。91歳の長寿を全うしたシベリウスは、神様が音楽家としての使命を与えてくれたのでしょう。
フィンランドに行くまではほとんど知らず、どんどん好きになったシベリウス。タイムマシンに乗って、本物のシベリウスに会ってみたいな。
これからずっと聴いていく作曲家になりそうです。
*タイトルの写真は、ヘルシンキのシベリウス公園のモニュメントです