#20 アアルト設計、イマトラのスリークロス教会(フィンランド)
巨匠アアルトが設計したスリークロス教会の改修工事がついに始まりました(2024年9月~) 老朽化やカビのため存続が危ぶまれる状況で、礼拝や地域住民向けの活動も出来なくなっていたそうです。2016年に訪れたときは確かに古びていたものの、そこまでとは思いませんでした。気候の温暖化が大きく関与していることにも驚きました。
スリークロス教会はフィンランド東部の町イマトラ(Imatra)にあります。イマトラはロシアと国境を接し検問所があります。物価の安いロシアで買い物したりやガソリンを入れたり、質の良い日用品を求めてフィンランドに来たりと、行き来が盛んでした。モールにはロシアナンバーの車がたくさん停まっていて、コテージで知り合ったロシア人は、「チーズやヨーグルトはロシアより美味しい」と言っていました。長年かかって築いた関係もあっけなく壊れてしまう・・・今はロス・ロスの関係が寂しい。
フィンランドは、冬戦争(1939-40)・継続戦争(1941-44)を経て南カレリア地方がロシアに割譲され、多額の賠償金を負いました。イマトラは戦後、3つの村が合併して誕生した町です(1948年) 3本の矢が輝くイマトラの紋章は、明るい未来への決意と希望を象徴しているようです。
そんな記憶もまだ新しい1958年に、スリークロス教会は完成しました。アアルトは1947年からイマトラの都市基本計画に関わっていたようですが、教会の場所に選んだのは市街地(黄)ではなく、郊外の森(紫)でした。失った南カレリアは森林資源が豊富で、有数の工業地域でもありました。イマトラにもたくさんの避難民がいたはず。私の想像ですが、スリークロス教会の場所が森の中で、市庁舎よりも工場エリアに近いのは、心の故郷カレリアへの思いがあるような気がします。
Kolmen Ristin Kirkkoは、フィンランド語で三つの十字架の教会(The Church of the Tree Crosses)という意味。ヴォクセンニスカ教会(Vuoksenniskan Kirkko)とも呼ばれます。ヴォクセンニスカは地名で、現ロシア領の奥まで流れるヴォクサ川の袂を意味します。名前の通り3本の十字架を持つだけでなく、教会の内部空間も3つに分けられます。
真っ白な教会は、空の青・森の緑とのコントラストが素敵。
白い壁と窓の感じは、アアルトの自邸やスタジオと似ているような。
34mの鐘楼
よく見ると、鐘楼のてっぺんも3つの装飾。
礼拝堂。 オルガンのパイプと壁のラインが同じ角度で天井に伸びていて、祭壇から天使の羽が広がっているようにみえます。
祭壇では朝の光が十字架に降り注ぎます。シンプルな3本の十字架は「三位一体」を表すと思いますが、教会を象徴する3という数字は、イマトラの成り立ちとも重ねたくなります。
オルガンのパイプのように、リズミカルに並んだ縦長の窓。パイプオルガンのデザインは誰がどのように決めるのだろう・・ アアルトの設計にマッチした素敵なオルガン。
同じ形の窓はないそうです。
ひとつながりの空間が、可動式の間仕切りで3つに分けられます。一番左(北)は礼拝堂、右の2つは教区センターの集会スペースになり、開放すれば全部で800席ほど。仕切りを閉じても横から直接出入りが出来ます。
言葉では表現できない有機的な形。平面図からこの建物を作りあげた棟梁さんたち、グッジョブ!!
見学したときは、人が通れる分だけ間仕切りが開いていました。
電動式の防音間仕切り。
2つめ(真ん中)のスペース。壁や天井が湾曲した複雑なデザインは、最後部まで声が響くように、音響効果を計算した結果でもあるそうです。
一番奥から見た祭壇。
一番奥(南)のスペースは、バスケットボールなどの球技にも使われます。ちょっと羨ましい。
教区の要望と建築家の直感や経験がミックスした、アアルト60歳の作品。誰にも会わなかった礼拝堂にロウソクが灯されていました。
見学が終わって空を見上げると、スリークロスのような雲が輝いていました。改修が完了したら、きっとこの空のように美しい空間が蘇ると思います。再訪を楽しみにしつつ、古い思い出もnoteに残しておきます。
<アアルト財団のサイト>