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小野神社 | 小野篁と多摩地域 |東京都町田市小野路町
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前回までのあらすじ
多摩ニュータウン地域に住むようになっておよそ10年。
気になる祠や史跡があるものの、何から調べたら良いか分からなかった私は、まず新編武蔵風土記稿を参考に調査をはじめることにした。
そんな中、境川沿いにある史跡を巡ってみると、平安鎌倉期の武士団「横山党」の存在が明らかになる。平安時代初期の公卿で文人としても名高い小野篁の後裔とされており、どうやら地域の歴史を見る上で重要なポイントとなりそうだ。
そこで今回は、町田市小野路町にある小野篁の7代後の子孫、小野孝泰が小野篁を祀ったのがはじまりとされる小野神社について調べた。
小野神社概要
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小野神社所在地
所在地:東京都町田市小野路町885
主祭神:小野篁
創建:天禄年間(972年頃)
小野神社の由来
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小野路は鎌倉みちの宿駅として鎌倉と武蔵の国府の置かれた府中に通づる要衝の地にある。宿の入り口にある小野神社は、小野篁の七代の孫小野孝泰が武蔵の国司として天禄年間(972)頃赴任し、小野路のこの地に小野篁の霊を祀ったことに由来する。
小野篁は、平安時代前期の人で和漢に優れた学者で、学問の神様であり、菅原道真の先輩にあたる。篁の孫小野道風は平安時代を代表する書家で三蹟として有名である。
応永十年(1403)には、小野路村の僧正珍が寄進を募り、交通の安全を祈願して宮鐘を奉納した。朝夕に別当寺の清浄院(現在廃寺)の僧が宮鐘を撞(つ)いて旅人に時を知らせたという。
戦国時代の文明年間に、両上杉の合戦で、この宮鐘は山内上杉の兵によって、陣鐘として持ち去られた。現在は、神奈川県逗子市沼間の海宝院に保管されている。宮鐘は昭和59年に多摩市の塩沢貞氏によって復元寄進され、拝殿の右側に設置されている。
神輿は小野神社神輿保存会によって修復事業が行なわれ、昭和60年9月に奉納された。
平成10年12月
小野神社
新編武蔵風土記稿
神社 小野社
余地、一段八畝、小名宿にあり、村の鎮守なり、勸請の年代を傳へず、按するに相州三浦郡沼間村海寶院にかくる、應永10年の古鐘は當社の鐘なり、神體は白幣にて本地は文殊なり、坐像にして長一尺ばかり、小社の内に祀る、前に石階數十級あり、その下に鳥居たつ、淸浄院持、
これによると、小野神社は具体的な勸請(神仏のおいでを願うこと)の時期について伝わっていないが、村の守り神として根付いていたようだ。
新編相模国風土記稿
按するに相州三浦郡沼間村海寶院にかくる、應永10年の古鐘は當社の鐘なり
ここに出てくるお寺は逗子市沼間にある曹洞宗長谷山海宝院のことで、この件については『新編相模国風土記』にも記述がある。
沼間村 海寶院
長谷山と號す、曹洞宗(駿州富士郡傳寶村保壽寺末)本尊十一面觀音開山支源は本寺二世の僧なり、退隠して駿洲に閑居す、後又當郡横須賀村良長院に移住しけるが當村の地は高敝にして富士山眺望の勝地たれば官に請て彼院を爰に引き今の院號に改む(後年舊地に一寺を建て良長院の古名を存す、今猶あり)時に縣令長谷川七左衛門長綱力を戮て堂舎を修飾す、故に長綱を開基とす山號は其家號に取れり、天正十九年十一月寺領十八石の御朱印を賜ふ支源曾て駿州の隠栖に菊數種を栽て楽みとす、其頃東照宮御獵の序入御ありて源を菊長老と召されしとぞ、其後文禄四年十一月二十一日寂せり、
△洪鐘。庫裡の樓上に掛く、武州多磨郡小野路村小野社の鐘なり、應永十年の序銘を鐫る長谷川長綱當寺に寄附すと云ふ(銘文曰、武蔵國小山田保小野路縣小野大明神宮鐘銘幷序、應永十年癸未冬、當縣居住奉三寶弟子正珍募縁、鑄鋸鐘朝夕扣撃、使夫往来之人晩宿早發知其時、何止證入圓通三昧亦復獲免道路之患難其施不亦博乎、乞銘お自快道人乃爲銘、銘曰、圓其外正虚其中剛有扣斯應、蕨聲孔揚無)
文明年間(1469年〜1487年)に山内上杉氏と扇谷上杉氏が争った際に、山内上杉氏の兵によって陣鐘として持ち去られた。
小野路から逗子へ渡ったこの鐘は、現在も海宝院で梵鐘(寺のつり鐘)として使用されており、神奈川県指定文化財に指定されているとのこと。
小野神社境内の様子
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奥に鳥居と階段があり、その上に社殿がある。
すぐ隣には小野路宿里山交流館という、いわばこの周辺の観光におけるビジターセンターのような役割を担う施設がある。
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熊野大権現とある。
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奥の階段を上がった先に社殿がある。
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奥に見えているのが社殿の屋根部分
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(右)案内板
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まとめ
今回の調査では、小野篁や横山党についてのエピソードはあまり出てこなかったが、『新編武蔵風土記稿』『新編相模国風土記稿』における小野神社の記載について確認ができた。
まだまだ知識不足の中での調査となるため、亀の歩みとなるが、まずは事実に基づく資料を集めていくことにする。
[参考文献]
新編武蔵風土記稿
新編相模国風土記稿
Wikipedia「小野路町」
Wikipedia「小野神社」
Wikipedia「小野篁」