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プロパガンダに覆われる社会にて

安倍元総理大臣銃撃事件から一夜明けた今日。

僕はどっと疲れを感じている。
事件発生の直後から、僕はある事を確信と恐怖と嫌悪を織り交ぜた形で懸念した。
それは人の不幸を利用したプロパガンダが始まる、という事だった。

僕は安倍元総理が展開したアベノミクスの恩恵を受けて事業を確立した。
政治心情や意義主張は関係ない。ただ、実際、僕達は安倍内閣在任中に事業を起こし、そして長期政権継続中に業績を伸ばした。
僕達の成長要因にアベノミクスが関係していた事は事実であり、政治家として国内事業者の成長に貢献してくれたという事実だけは確かなモノだ。

勿論、これは僕の視点からの事実であり、アベノミクスの恩恵を受けられなかった人、また逆に安倍政権下で貧しくなった人、苦労した人もいる事は理解出来る。

このような事件があった時、個人的視野からの見え方があるのと同時に政治的に中立でいる事は現代社会においては物凄く重要な事だと考えている。
人の死というセンセーショナルな出来事は政治のプロパガンダの格好の材料になり得るからである。
そして誰しもが発信できる現代では誰しもがプロパガンダの発信源になり得るからである。


銃撃直後から中国、韓国、ロシア、野党に対するヘイト発信はどんどん増えていった。
酷いのは中国人のフリをして安倍氏の貶める発言をする反中国のプロパガンダが展開された事だ。

この類は偽韓国人、偽ロシア関係者、偽野党支持者も存在する。

また自衛隊批判、弱者救済を訴える事にも、安倍氏銃撃が使われ、更には政権批判者が事件を誘発したように印象付ける発信も多く行われた。

そして、偽発信、安倍氏に関連づけられた意義主張が日本中を飛び回る。
安倍氏の友人や家族を思いやる人々の発信は日本語圏では殆ど上位には上がってこない。

意義主張を根底とした発信とプロパガンダばかり。
英語のコンテンツでは家族、友人に関する言葉、日本国民の心を心配するが目立ったが、日本では事件に関連させた批判、否定の嵐だった。

今日もきっと、それが続いているだろうし、選挙結果にも影響が出るだろう、と思う。

もうウンザリだ。
この国は人の死に正義、同情の仮面を被せてプロパガンダを流布する国だ。

僕は、今のこの国が地獄のように思える。
プロパガンダ発信を控えるように、取り締まるように与野党に連絡をしたが、反応は殆どなかった。

人の死は民主主義の名の下で、利用され消費される。
最悪の気分になった。

公人が亡くなった時、多くの人は自分と時代を振り返る事で故人を弔う事ができるが、それはプロパガンダの喧騒の中に消えていく。
感謝を深く感じる事、思い返す機会、反省でもなんでもいいが、そういったパーソナルな想いが飛び交う事もなく否定批判の嵐が吹き荒れる。

これがこの国の民度なのだ。
人を撃ち殺した人、撃ち殺された人、そして、それを自己利得の為に利用する人々。

亡くなった人と、罪を犯した人と、想いを抱える人々の社会ではなく
被害者と加害者と群衆の世界。

そして被害者と加害者はコンテンツとなり、群衆はマーケットとなり、また群衆はコンテンツを量産し、拡散し、自身がマーケットでありながら同時にプロパガンダの発信者となる。
否定と批判の被害者と加害者は混在し、プロパガンダと感情と利害とプライドがカオスを形成する。

個々人の弔いなど、渦巻く情報の中には極小の添加物程度しか社会に存在しない。

これが和の国、日本の現状だと思うとやりきれない。

僕は今回の選挙は期日前投票で国民民主党を支持した。
それを正しいというつもりもないし、個々人が各自判断して、自身の思いと考えで投票すれば良いと思う。

しかし、今回のプロパガンダ合戦は目に余る。
特に多様な政治思想が存在する筈の自民党の支持者によるプロパガンダ、自民党を没個性的政党に貶めている事も気付かずに自民党喧伝をする人々に対し、嫌悪を覚える。
安倍氏の思想と岸田氏の思想は違うのに与党自民党として同一視してしまっている無知を土台とした野党批判行動は下品で卑劣で自民党、及び現政府、そして故人までも冒涜し貶める行為だ。

そして、中国、韓国をはじめとする諸外国を貶める行為に安倍氏の死を使う人々も下品で下劣だ。これは中国共産党の方針や韓国の対日政策が正しいか否かの話ではなく、その反中、反韓の想いに安倍氏を人柱として使う事に対する抗議である。

そして政治的パフォーマンス、批判言論に対する危険視、否定、統制などを叫ぶ事もおかしい。悪は批判でもパフォーマンスでもなく、銃撃であり殺人である事は明らかだ。
反感を抱かせるから、こんな事件が起きるのだ、という論調は民主主義近代国家と国民主権、民主政治の否定と抑制だ。

自由に発言し、各視点からの真実の発信と、意義主張、想いを国民が判断するのが民主主義国の政治のあり方だ。

人の死を利用し、プロパガンダを流布し、デマを工作し、別勢力を批判、否定し、貶め、自分のイデオロギーや支持政党の姿まで歪めていく事は
民主主義を馬鹿にした銃撃とはまた違ってはいるものの、下劣で下品で冒涜的な行為だ。

僕は日本が民主的な選挙が行える国であり続ける事を願い
人の死を利用するのではなく、個々人が御霊を弔える国である事を願う。

安倍晋三氏のご冥福をお祈り致します。
僕自身の弔いはアベノミクス下で誕生した自身の事業を継続、発展させる形で成していこうと考えております。

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