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4月最終末号(引退のタイミング)*仮説

こんにちは。
atelierity onlineです。

先程、先に月末号をリリースしたので、この週末号では、思いつく事を徒然なるままに書いていこうと思います。

とは言っても、お話したい事はあります。
本企画の趣旨とは少しズレますが、関係はある話です。

それは仕事と投資の関係についてです。

僕達は経済的自立を確立するまでは、どうしても働かなくてはなりませんし、実は経済的自由を獲得した後でも働く事になります。

これは僕の個人的な意見なのですが、経済的自立を明確に自覚する事が非常に困難だからです。

ごく一般的に経済的自由、経済的自立というのは
「運用益が消費額を上回る状態」
を意味します。

しかし、これが実感的な安心や、またはごく一般的に言われている状態とは直接関係が無いように思えるのです。

先月の運用益で言えば、僕の運用益は当企画も合わせて、生活消費額を遥かに上回ります。
しかし、この状態で引退すれば一年後にはすっかり没落しているでしょう。

僕は資産総額1億以下で、住宅ローンという大借金を持ち、人付き合いで車のローンも保有していて、喫煙者で、猫を飼っているという、引退するには、とんでもない状態なのです。

ごく一般的な経済的自由、自立の条件は満たしているのに、とてもつもなく危なっかしい僕の状態。

多分、引退すべきでは無いでしょう。
そして、僕自身は仕事をしている状態を決して嫌っている訳ではない、それ処か、好きだとすら思えるのですが、僕は複数の事業のオーナーであり、仕事と資産運用と一般的に呼ばれるような労働無しで収益を得る運用モデルは、共に、投資であり、運用であります。

つまり、僕にとって、経済的自由と、仕事と、投資や資産運用やFIREと呼ばれるライフスタイルなどの定義は実態の中に落とし込む時に酷く曖昧な状態になるという事です。

資産構築としての仕事

さて、僕自身はまだ引退するとか、富裕層だとか、そういった状態には程遠く、一般的には労働をすべき資産状態にある者である事は疑いようがありません。

強いていうならば、運用益が消費額を上回っているという自体だけは、その状況に水を挿せる気がしない訳でも無いですが、実際問題リアリティを感じないので無視して良いでしょう。

僕は労働をしなくてはなりません。

取り敢えず、この条件は確定だとして、僕はどんな労働をしているかと言いますと、俗にいう「資産性労働」とか「ストック型労働」とか呼ばれる働き方をしています。

つまり、労働が直接収益を産むのではなく、労働が資産を生み出し、資産が収益を産むような収益モデルの事です。

しかし、これも結局、突き詰めていくと定義の曖昧さが露呈してきます。

「経験は資産?」「コネクションは?」
など、後に収益を産む事はあるのに、どんなビジネス形態でも獲得できる資産も存在する場合、わざわざ「ストック型労働」という言葉を引きづり出してくる意味はなんなのでしょうか。

僕の答えでは「意識次第」という事にしています。
何を資産を得て、収益化するのかを意識出来るのであれば、アルバイトでコンビニのレジ打ちをしていたとしても「ストック型労働」に分類出来る、と考えるスタンスです。

飲食店で調理場のバイトをした経験を元に、家事代行で調理をする事業を立ち上げて運営する、だとか、ビル掃除のバイトでOLさんの中で流行りそうなトレンドを察知してアフィリエイトビジネスを展開するとか、選択肢は無限にあります。

つまり、仕事とは何らかの資産を構築する営みだと捉える事が出来ると考えています。

生まれながらの資産

僕の価値観で考えるならば、人は経済的自立を作り出すまで、永遠と資産構築を繰り返します。

金銭であったり、経験であったり、知識であったり、思い出であったり、価値観であったり、色々な資産の形で形成していきます。

中には運用しやすいものも、しにくいものもありますが、見方によっては全て資産だと言えます。

中には自分が手にしている資産価値に気付かず捨ててしまったり、邪険に扱ったり、心の奥底のゴミ箱の中に入っている事も多々ありますが。

しかし、何の価値も出力せずに資産を形成する事は出来ませんし、広義的に捉えれば、僕達の人生は労働、働き、営みと言っても良いのですが、常に記憶の連続性の元、資産形成をし続ける形で出来ています。

そして、僕達が生まれながらに持っている資産を元手に資産形成を始めるのですが、生まれ持っている資産とは何でしょうか。

生命。時間。魂。
よくこんな答えをしてしまうのですが、これらは残念ながら、沢山の人がいる今の世の中では、大変申し上げづらいのですが、あまり価値がありません。

試しに
「僕は生きているし、時間があるので、御社で働かせてください」
と言った処で、まともな会社はまず、取り合ってくれません。

つまり交換価値があまりない=資産価値が低い、のです。
実は生まれ持った資産というのは残念ながら不平等の中にあります。

僕には2本の足があります。
これは全員にある訳ではありません。

子供の頃、幾つかの習い事が出来る家庭にいました。
これも全員が出来る事ではありません。

母子家庭だったので、高等教育費が無償だったので、奨学金の負債がありません。これも全員ではない。

こう言った小さな不平等の特性は交換価値があります。

足があれば、足が弱い人の代わりにモノを運ぶ事ができ
何かのスキルを手にしていれば、それが出来ない誰かの役に立ちます。

この時に不平等は経済によって緩和され、その対価として資産が増加します。

ここで初めて直接の交換価値がなかった、時間や魂が役に立ちます。

スキル×心が籠った取り組み
身体能力×時間

などでレバレッジをかける事が出来る様になります。

労働=投資

僕が言いたい事は、仕事とは自分が持っている価値資産を他者にシェアする事であり、それは金銭をシェアする投資と本質的には同義だという事です。

つまりは人生は投資で出来ているとも言えます。

ここらへんのグルグルした話はいつか、何かで発信したいと思っておりますが、結構重要な話だと考えています。

結局はリタイアを考える時、金融資産の優位性が、自分に固有する資産の優位性より勝り、価値が高いのならば引退し、自分の価値が高いのならば働いていた方が良いと考えられます。

つまり引退のタイミングは
「金融資産価値>個人固有資産価値」
の式が成立した場合に引退すべき時だと出来るのかもしれない、と考えられます。


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