国防視点でウクライナ情勢を見る
どうしても、この話題について書くと、きな臭い匂いが漂ってしまいます。
実際ミサイルが銃弾が飛び交い、戦車が破裂しヘリコプターが空気を切り裂いているのですから、きな臭いのは当然だと言えば当然ですが。
僕が今回、この記事を書こうと考えたのは
自分のスタンスを明らかにしておきたいと願ったからです。
イデオロギー的な視点で西側に偏りがちな情報環境にいる中、自分自身がウクライナ側に肩入れしたモノの見方をしてしまう危険性やロシアの政治的問題にフォーカスしてしまう可能性について、一つ杭を打ち込み、支点を得て思考していくべきだと考えています。
偏りの無いモノの見方など不可能で、それであれば、何処に偏ってモノを見れば良いのか、という僕自身の自問自答の結果について、本記事は取り扱います。
本文に入る前に結論を申し上げますと
僕達は自国防衛の最前線をウクライナ情勢に見る
と言う視点を持つ、つまりは何に偏って見るか、と言う問いに対して[日本]と言う答えを持つ、と言う一つの解答を示したいと考えています。
戦争反対、人権擁護、酷い事は許せない、と言った正義感情はプロパガンダの餌食になりやすく、かなり曖昧で、他人行儀な安全地帯からの視点であると考えています。
勿論、それであっても、それらの声や思想には大きな価値があり、人類が共有していくべきモノだとは思います。
ただし、今の情勢を自分自身が観察し、判断し、行動していく為の視点としては、あまりに曖昧で概念的であり過ぎる上に、取り扱いの難度が高い抽象概念であると考えています。
それであれば何かに偏っていく時、僕達は一体、何に偏っていくのか、西側的視点か、ロシア擁護か、ウクライナの人々への同情か、正義感情か…
僕達が偏っていくべき視点は日本という国に住む日本人で日本語話者という共通項で探った時、日本に傾こう、という結論に至った故に、この文章を書きます。
日本を守る思想
僕は愛国心の強いタイプの人間ではありません。
保守層でもありませんし、どちらかと言えば自由主義的な視点を持ち、アナーキズムを称賛する事は無いまでも、規制されずに生きていきたいと願い
所属によって自身が定義付けられる事を嫌い、全体主義によって個が犠牲になる事を嫌悪するタイプの人間で
一人一人が抑圧されるくらいなら、国なんてなくても構わない、と言った事を思ったりする人間です。
僕にとっての日本という国に対する愛国心や帰属感はとても弱く、国防について日常的に考えられるような精神的基盤はとても持ち合わせているとは言い難いのですが
今、国防について考えなければ、何も分からないまま、つまり自分が何処に立っているのか知らないまま世界地図を眺めていて、自分の学力を知らぬまま大学ランキングを見ているような、何の役にも立たない評価的な人間になってしまうと考えて自国防衛視点を持って物事を見ようと決意した次第です。
そんな風に物事を考え出すと、日本の社会の異様さに気がつき出します。
国防に関して語り出すと、日本では差別的意図を込めて、右翼的だと評され、国防=軍事という等式でもあるかのように、まるで戦争を肯定する人間であるように見られ、酷い時は軍国主義者や覇権主義者のように扱われていきます。
また、そのレッテルの呼応しているのか、また何か別のイデオロギーによるモノなのか、愛国心を語り他国を罵ったり他国民を差別的に扱ったりする自称愛国者も存在しています。
つまり、殆ど日本には主体的に国防について語り合う民間レベルの地盤が存在していないように感じられます。
これがまず、国難と言える内部の障害である、と考えています。
安い日本
国防≠軍事のお話を例として一つ挙げていきたいと思います。
これは僕の実体験です。
僕は10代の頃、建設金物業に従事していて、建物を作るプロジェクトに参加していました。
俗にいう職人さんのお仕事で、凄く労働者色の強い業種です。
大きなビルなどの建設の際には1000人規模で職人さんが集まり、それぞれの専門技術を結集して建物を作っていきます。
建物が完成してくると職人さんは安全靴から上履きへと履き替え、カーペットなどの仕上げ物の上では裸足で作業に従事する事になります。
これはお客様にお渡しする建物を汚さない為の配慮です。
そんな状況で僕にとって、少しインパクトのあった出来事についてお話います。
職人さんが裸足で作業に従事する中、お客様が現場視察にいらっしゃった時の事です。
職人さんが裸足で作業している中、お客様はハイヒールでいらっしゃり、裸足でいる職人さんの横をハイヒールで通り過ぎていく。
職人さんは作業を止め、頭を下げる。
お客様は目もくれずに管理者に質問を浴びせながら、歩いていく。
凄く資本主義社会を象徴する場面だな、と若い時分に感じたのを記憶しています。
これは顧客と労働者の間の壁を実感した資本主義の残酷性の一片のようですが、実はこれが日本の物価と賃金の関係性から国防視点へ転換していきます。
日本の物価、及び、賃金の増加は世界的にはかなり鈍く、実質賃金としては低下傾向にすらあります。
日本の労働者の賃金が低く、結果、サービスや製品の値段も低くなります。
そして安い日本は買われる日本になります。
買われる日本においては、顧客は実質賃金上昇を続ける先進国や新興国の人々で、安く働くのは僕達日本人です。
職人:顧客の対峙が
日本人:外国人に当てはまる経済的要因は
今日でも形成され続けています。
また外資系IT起業では
[IT土方]と言われる日本人労働者が雇用されています。
言うなれば、彼らはコンピュータ技術における職人さんです。
本国アメリカの本社は日本支社に指示を出します。
それを聞き、現場を管理するのはインド人や一部の日本人です。
その指示に従い、日本の労働者は淡々と処理を続けていきます。
彼ら日本人労働者は日本にしては高めの給料を貰い、有名な海外のIT企業で働いているという輝きを持っているようで
その構図は完全に近代ヨーロッパが行ったプランテーションのようです。
経済に関する事は
僕たち国民を守る事に通じていると考えられます。
これは国防=軍事ではなく、軍事は国防の一要素でしかなく、経済も大きな要因、つまり、銃弾に打たれる事から守るのも国防、札束で叩かれる事から守るのも国防だと言えると考えます。
自国と他国の国防
国防視点を持つ事は他国の視点を推察する上でも重要になります。
今回のウクライナとロシアの戦争を僕は両国共に国防を掲げた戦争だと考えております。
ロシアの視点から見れば、自国の周辺国が自分達を仮想的とした軍事同盟が広がり続けている状況です。
日本に例えるなら、ロシアも中国も韓国もフィリピンもシンガポールもタイもベトナムも、そして、太平洋を隔てたアメリカまでもが日本を仮想敵とした軍事同盟を結んでいる感覚でしょう。
怖くない方がどうかしていると思います。
一方、ウクライナからしてみれば、過去にロシアと同じ国家体制に入った時、ジェノサイドと飢餓により国民が大量死していて、実際に領土を占領支配されている部分もあり、政治的干渉も行われている中で、それに対抗する軍事同盟に入りたい、と考えていました。
日本に例えるなら、中国に沖縄を占領され、過去に中華権力域にいた事で、同一視を強要され、中国寄りの国家運営を促されている中で日米安保も無い状態と言えるかも知れません。
また、この視点においては例え話では無い方がわかりやすいかも知れません。
実際に日本は北方領土をロシアに占拠されており、これが再度侵攻してくる恐れが強まった時、軍事同盟を強化したいと願うのは、当然の選択となるでしょう。
また、ロシアは欧米の経済的プランテーションに、ウクライナはロシアの経済的プランテーションになる恐れもあります。
ロシアの視点では単純化した話になってしまいますが、ヨーロッパ人の為にガス、石油や鉱物資源を安く供給し続けさせられる危険性があり、その視点を共有できるアラブ首長国連邦は、ロシアに対する非難勧告決議の為の国連総会開催に関する投票を欠席しました。
またウクライナはエネルギーサプライの一環としてロシアとヨーロッパの流通地として機能を果たしてきましたが、ノルドストリーム2などのインフラ整備に伴い、自国産業の弱体化の危機にもあり、実際、ウクライナの経済状況は芳しく無い状況が続いております。
また今回のロシアに対する経済制裁は以前、日本を太平洋戦争へと駆り立てたABCD包囲網との類似性も見てとれるモノであり、それぞれが国防視点で物事を考えて行った時に
プーチンさんの思いつきや攻撃性によるモノ、ゼレンスキーさんのプライドや意地の問題ではなく、国難の重なり合いによる奥行きのある緊張状態であると言えると思います。
僕達の判断
目的は過程を正当化します。
NATOはソ連解体時に解体されなかった、つまりは民主国家、資本主義国家として再スタートを切るロシアに銃口を向け続けた訳で、それに対してロシアがNOという。
これは僕には正当な権利であると思えます。
だから、NATO拡大を防ぐ為にウクライナを攻撃する。
理屈を通っています。
だから、ロシア政府は実行している訳です。
目的の為の行動であり、ロシア側からすれば正当性があります。
一方侵略を受けているウクライナが自国防衛の為に軍事同盟に加入したいのも当然です。
目的では双方に正当性があります。
そして目的で過程を正当化し続けると惨状は拡大していく一方です。
平和ボケした僕のような人間はロシアもNATOに入る、とか、NATOを解体して、ロシアの西方干渉を国連で禁止するとか、そんな事を考えてしまいますが、それは正直、なんの意味も無いと思います。
過程を非難しても火種が消える事はありません。
ロシアが軍を退いた後もNATOのミサイルはロシアを狙っており、ウクライナは緩衝地帯になるようにロシアから圧力を受け続けます。
これは非常に奥行きのある難しい命と尊厳に関わる恐ろしい話だと感じています。
日本のメディアやSNS発信は、この非常に多面的かつ、逼迫した問題を取り扱っている自覚を持っているモノはかなり少ないのではないか、と考えています。
そんな中で僕達は自らのスタンスを持たなければならないと考えています。
それは僕達もロシアやウクライナと同じく国難に瀕しているからです。
侵略される日本
日本は侵略に現実味を持って考えていない気がしています。
少なくとも、一般的な視点では、かなり緊張感のない状況で、ウクライナ可哀想、みたいな感覚で開戦前は状況を見ていた印象を受けています。
日本はどうなのでしょう。
北は北方領土をロシアに占拠され、南では尖閣諸島で中国が領海侵犯を繰り返し、西では竹島を韓国に占拠されている状況です。
ウクライナ可哀想、と言っている場合ではないです。
日本は日本国土内に同盟国であるアメリカの軍隊と、日本を敵国として扱う韓国の軍隊とロシアの軍隊、海上には中国の軍隊がいて、自国は軍隊を所持していない、という状況です。
侵略される国家としては日本はウクライナ以上に多くの国に侵略されており、ロシアはウクライナと日本の両国を侵略している国となります。
経済的主体性の死んだ国
日本はアメリカの属国である、と言われる事は、軍事面や文化面、またアメリカ占領時に制定された憲法を変更出来ていない事などから使われる表現ですが
最も顕著なのは経済の主体性と独立性です。
アメリカがクシャミをすれば、日本は風邪をひく、と言われる程、日本が米国経済に対する依存度が高く、更には中国政府の人権侵害に強く抗議が出来ない程、中国経済にも依存しています。
太平洋と日本海を隔てているとは言え、アメリカと中国のに大国に挟まれている日本の経済的な地理的環境はEUとロシアに挟まれているウクライナの立地と近いものがあり、ウクライナはIT産業の勃興に力を入れていて、日本はそれを失敗しました。
ウクライナは日本が失敗した事を成功させる可能性のある国であり、同じ国に侵略された国家であると言えます。
固有言語
日本語が共用語の国は日本だけです。
僕達が思考し、情報交流に最も浸かっているツールの汎用性は日本列島の中でのみ機能します。
ラステク系の製品購入をすると、驚く事に日本語の説明書が付属しない場合があります。
中国語と英語、いくつかのEU諸国の言語、ロシア語、アラビア語の説明書が付属していて、最も馴染みのある英語の説明書を使う事になります。
勿論、自国言語が公用語の国で汎用性がない国はアフリカ、アジアには多数存在するのですが、先進国の中で自国固有言語が共用語で他国言語習得率が日本程低い国は稀です。
というよりも、一国も思い当たらないです。
強いていうならば、ロシア、でしょうか。データはないですが。
自国語保護政策に関して日本人が真剣に考えているのを、僕は見た事がありません。
この島の中でしか通じない言語が、今後も使用できると僕達は信じきっています。
既に多くのwebサービスが日本語では使用出来ず、その恩恵に与れない事態は日々深刻化しているのですが。
インターネットグローバル社会においては地理的防御は案外役に立ちません。
また人口動態課題も、その問題に拍車を掛けます。
米国は人口維持、増加を実施していますが、その結果、米国の地域でありながら英語の通じない場所も発生しており、日本はもう少し日本語文化圏防衛において、真剣味を持つべきだと考えています。
その為に外国語を学ぶ選択肢をウクライナは取っています。
ウクライナ人はウクライナ語、ロシア語、英語が話せるトリリンガルの割合が日本と比べると圧倒的に多いです。
日本の立地であれば、日本語、中国語、英語が話せる、と言った感じでしょうか。
それによって諸外国に日本の存在を印象付ける事が日本防衛にも繋がると考えられ、ウクライナのゼレンスキーさんを始めとしたウクライナの人々が英語で発信してくれるお陰で、僕は多くの情報を得る事が出来ます。
日本は国難の発信を英語で出来る人がどれだけいるのでしょうか。また、中国の言語で自分達の意思を中国の人と共有する事がどれだけ出来るのでしょうか。
ロシア軍兵士を説得するというウクライナ人の試みは果たして日本人に置き換えて考えた時、なし得る事が出来るのか、その視点も一つ重要なのではないか、と考えます。
正義の味方ではなく
僕達は外野としてウクライナ情勢を見るのではなく、自らの一国の国民である自覚を元に自らの国の国益と立ち位置も踏まえた上で、この問題を観察する必要があり
また、自覚の上で日本の国益を度外視した選択を取る勇気や、また国益の為に共に戦う決断をする選択肢が必要だと考えます。
ここで一つ、明らかにしておかなければならないのは、国益の定義は考える余地があるという事で、全体主義的思想ではなく、個々人が日本という土地の市民である事を踏まえた集団に属しているが故の恩恵を得る事、損失を避ける事とも関連付けられる余地を持って取り扱われなければならないという事です。
僕達は既に台湾、トルコ、米国を始めとして多くの国々に助けられています。
彼らは自らの国益と、その外側にある心情の中で、僕達に施しを行なってくれてきました。
僕達は東日本大震災の時、台湾がしてくれた事を、アメリカがしてくれた事を、トルコがしてくれた事を覚えています。
そして、僕達が、その思いに応える事が自らの国益、心情に繋がっていきます。
僕たちは今、ロシアとウクライナに何をしますか?
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