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恐ろしい程退屈な人生

人生は恐ろしく盛大な暇潰し。
誰かがそう言った時、僕は反感を覚えた。

しかし、今はそれが傲慢な思い過ごしてあったと気が付いた。

人生が潰すべき暇ではないと思っていたのは、人生がある程度、思い通りになると勝手に信じていたからだ。
今までの結論的に人生は思い通りにはならない。

それ処か残酷で無常だ。

何かを築き上げる事が出来る人は、これからも、人生を潰すべき暇ではなく、残された宝物だと信じて生きて欲しい。
僕もそちら側に居たかった。

居たかったが、出来なかった。
大半の人は試みすらしない。
そして試みた人のまた大半が自らの人生の舵取りに失敗していく。

そうして、自分に残された権利の中で生きていくのだ。
ビジネススターの皆様が眩しい。
彼らは残りの時間を暇潰しに使おうなどという愚行は犯すまい。

彼らの一秒一秒は常に自ら光り輝いている。
彼らの光に吸い寄せられた虫は儚い夢を見て、そして消えて散っていく。

思い通りの人生を

思い通りにしていく人生はエキサイティングだ。
大事な事は最初から思い通りにはならない事だ。

だんだんと自身の影響領域を広げて、出来る事が増えて、世界が光に満ちていく。
だんだんと広がった光は自身の周りを明るく照らし、あたかも後光を背負った天使のような無敵感すら与えてくれる。

若人には是非、こちらのルートを歩んでほしい。
人生は思い通りになる場合もあるのだ。
貴方達はまだ、己の限界を知らない。

否、僕もまだ知らない。
ただ、それを切り開く気力の問題だ。

そして僕にはもう、自分の思い通りの人生を手繰り寄せるだけの気力がなくなってしまった。

休息

人間には休息が必要だ。
僕はずっと戦ってきた。

何度も休もうと決意をして、その度にそれは非常に困難だと感じた。

面白いもので、自身の思い描くビジョンを追求していながら、自ら休息を取ると言う意思決定すらも自由に実行出来ないのだ。

愚かで勤勉な無能者。
それが僕だった。

いざ、休む事を決めると急激に恐怖が押し寄せてくる。
まるで自身の体から肉片がボロボロと崩れ落ちていくような喪失感と恐怖を抱いた焦燥感にも似た感情に包まれる。

全く馬鹿げた有り様だ。

戦っても勝てず、負けて逃げるのも苦しい。
だったら、戦えばいい。
それも辛い。

敗者とは矛盾に満ちて滑稽で愚かだ。

しかし、もうそれでいい。

僕は無能で滑稽で愚かな矛盾した人間なのだ。
だからこそ、今の道の先には思い通りにならない退屈で暇を潰さなくてはならない人生が待っている。

蘇りし不死鳥の平穏

ふと昔、自分のあだ名が不死鳥だった事を思い出した。
バイク事故でバイクが廃車になる程の大クラッシュに巻き込まれて、バイクから飛び降りて受身を取って生還したのだ。
それでも、足や手には無数のアスファルトの破片が食い込んでいて、取り除き傷が癒えるのを待たなくてはならなかった。

仕事に熱意を持っていた僕は傷口が塞がる間だけ休み、戻ると猛烈に働いた。
その頃、僕は不死鳥と呼ばれていたらしい。

さて、今の僕もきっと不死鳥だ。
ただ、傷を負い、そして、それが癒えても、咆哮を上げ風を巻き上げたりはしない。

ただ自身の困難から立ち上がり、その後平穏に暮らすつもりだ。

戦わなければ勝てない。勝てなければ生き残れない。

様々な物語の中で何度も引用されてきた概念。
僕の心の中にも似たような信念があった。

今は勝たなくてもいい。
戦わなくても生き残れる場所を探すから。

そう思っている。

大東亜戦争の最中、出兵する前の日本兵は婚姻を済ませて出兵する習わしがあったそうだ。
守るモノがある時、人はより勇敢に戦う。
それに戦闘の後の平穏を思えばこそ、人は苦難に抗える。

しかし、現代の競争社会における資本主義的闘争はまるで、戦場の中に家を建てているようだ。
一体どこからが戦場で何処からが平穏だと言うのだ。

帰るべき場所すら戦場の現代人は超人的精神力が無ければ戦い続ける事など出来ない。

そうであれば、戦いの熱が冷めてしまった人間は敗北者であり、より穏やかな別の戦闘域に身を潜める他ないのだ。

戦士だった僕へ

君はよく戦った。
少し頭が弱いから、人よりも懸命に戦った。

時に人は果敢に戦う君を称賛したりもしてくれた。
とても激しく戦った。

でもね、君は血飛沫を巻き上げながら戦っていた時に
誰しもが君を英雄だと思った訳ではないんだ。

君が守りたかった人達ですら、君を異形の人外だと思ったりもしたんだ。

君は頭が弱いから、ただ、愛する人の為に戦った。
人を想い戦った。
そして、共に戦うように人を鼓舞したんだ。

戦え、戦え、戦え…と。

そして遂に君自身が自らの鼓舞に耐えきれなくなるんだ。
気がついたら、たった一人で戦って、周りの戦場の光景に恐ろしくなるんだ。

ただ君は頭が弱いから、きっと引き返す事なんて出来ないんだ。
何処か、頭以外の心か、体が壊れるまで戦うんだ。

哀れな戦士だった僕へ。
頭の弱い哀れな僕へ。

敗北の平穏の中より。

秋晴れの宇宙

午前中の終わり。
スーパーへ買い出しへ向かおうと外へ出ると、とても気持ちの良い陽気だった。

厚手のシャツにカーディガンを羽織った服のチョイスも気候にバッチリ合う。
寝癖隠しに被ったハットの鍔が刺さるような日差しを遮り、光の暖かさだけを届けてくれる。

敗北の陰鬱を照らす天界の光の中に出たような気分だった。

裏庭の畑で煙草を吸ってから車に乗り込む。
フロントガラスからも綺麗な空の青が映える。

あまりの心地良さに昼食の後、小さな美術館へ向かった。
日本人作家の近年の作品を眺める。

ゆっくりディテールまで味わっても30分で見終わってしまう程、小さな美術館。
美術館の周りを散歩する。

美術館の周りは竹林になっていて、太い幹の竹は風が吹いても靡かない。
ただ葉が擦れる音がざぁぁっとなり、蜘蛛の巣だけが大きく揺れ動いて見えた。

蜘蛛の撮ろうとカメラを向ける。
あまりに激しく揺れ動く蜘蛛の巣に単焦点レンズのフォーカスが間に合わず、撮影は結局断念した。
その時蜘蛛越しにボケた木漏れ日の光がとても綺麗だった。

とても綺麗で美しいモノをファインダー越しに見て、そしてシャッターを切れない事が僕らしいな、とも思った。

遠くの遠くの灼熱の太陽が発する光は竹林の中ではとても優しく温かかった。
僕が求めているモノは木漏れ日なんだ、と、ふと思う。

きっと美術品を見た後にファインダーを覗いていたせいで、何だか随分詩的な感性を持った気になっていたんだろう。

鬱蒼とした空間を柔らかく照らしてくれる、あの光に、何だか愛おしさのようなモノを感じて、僕は下へ目線を俯かせ、木漏れ日に照らされる下草を撮った。

陰鬱の終わり

人生は暇潰しだ。
だとすれば、吐き気を催す程に長い困難な暇潰しになるだろう。

ただ命が時間に溶けていく感覚の中で、僕は、その長い時間に耐えられるだろうか。

きっと、僕は気が狂ってしまうのではないか。
ではどうするのか。

また戦うのか。
それも今は無理な筈だ。

では死ぬのか。
きっと、それも選ばない。

ただ、もっとずっと時間が経って、色々な事が過ぎ去って、多くを失って、止まり続けた先にきっと、何らかの答えは待っている筈だ。

また戦い始めるのか、それとも死んでいくのか。

自分で答えを今、出さずとも、時間が答えを出してくれるのだ。

時間が解決してくれる。
多くの人が何度も、その言葉を吐いた。

誰かがそう言った時、僕は反感を覚えた。

でも、今は、その他力本願で見下していた考えに身を委ねて
時間の経過に滑り着く平穏の中で過ごしていたい。

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