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疫病と戦争と技術変革と不景気

一月のレポートを作成していなかった事に気がついた。
毎月作成していた統括レポートの作成を忘れていたのは、ここ最近、あまりに目まぐるしく色々な事柄が動き回ってくれたお陰だと思う。

僕自身は最近の世の中、それも大抵はコロナショック以後の予測可能な範囲の問題群について、思考が追い付かなくなっている。
それは大まかな予想が可能であり、その詳細部分や要素については勿論予想不可能である中で、その噴出速度や関連性の広がりの速度とサイズ感に拙い脳みそが悲鳴をあげている感覚に近い。

その結果、日常の対応と日々の思索に飲まれて、あっという間に2022年最初の1ヶ月が過ぎ去ってしまったという事である。
そして今、ふと、その統括記録の作成を忘れていた事を思い出した。

今、僕は何を考えているのか、何を試し、どのような結果を得たのか、どのようなデータが取れ、それをどのようにこなし、糧とするのかについて考える。
今週末は、そのレポート作成を行う。

この記事は、その前の刹那的な自身の脳に映り込んでいる事柄を書き出しておく期限遅れのレポートの前哨戦のようなモノである。

written by ぽんた@HAM


ログの時代

今更ながらログの重要性についての認識が深まっているように強く感じ始めたのは今年に入ってからだろうか。
記憶は定かではないが、その思いは日に日に強くなっていき、数日前にピークアウトしたような気がしている。

それはログの重要性が低下した訳ではなく、僕自身の思考が他の事柄に引き回された結果であり、ログの重要性は高まっており、また、その取り扱いと記述の為のシステムの重要性も高まり続けている。

計算機と情報が我々の社会的行動には常に深く関連していて、計算機処理によって以前は有用化しきれなかったデータが有用化される時代となり、その傾向は益々加速していく。

統計データの分析と、その組み合わせ最適と選択戦略に関するゲーム理論的分野は日々、高速で世界的に発展を続けている。
その巨大な成長を遂げるシステムは僕達が読み取りきれない程のデータを食し分析し有用性のある情報を生み出す。

その餌となるデータを常に記述する枠組みがログ作りであり、これは共感、共有に関しても非常に重要であり、信用と社会的互換性の視点でも非常に重要である。

その重要性はログの記述と管理を必然的な選択として我々にそれをある種強要する程であり、僕達は、それに関する取り組みに主体性を持って取り組む必要性があると考えている。

ゲーム理論

僕は生まれてからずっと何らかの思考様式によって思考してきて、その互換性と安定性の無さを解決する必要性と自身による改善の需要を感じてきた。

その改善策を見つけた事は今まで何度もあり、それが思考法であったり、またはただのパラダイムであったりしてきたのだが、普遍的有用性のあるものを見つけ出したのは成人以降の事だった。

これはある種のカテゴライズがされない形では徐々に思春期から形成されていたのだが、それが価値観なのか、考え方なのか、理屈と感性のバランスで片付けられる要素なのか区別がついていなかった。

成人して十余年の間に、その形態は一定の様式の中でまとまりを見せてきて、現在では微積文法、集合解析、確率統計、物理という数学的分野を様々な要素と掛け合わせる様式に収まっていた。

この数学的ツール群にゲーム理論という要素を加える意思決定を成したのは今年に入ってからである。
ゲーム理論についてはここ数年、なんとなく触ってきて学問として真剣に取り組んではこなかったが、近年の計算機的要素と人間活動との関連性を鑑みるにゲーム理論を取り扱える事の価値が自身の中で大きく膨らんだ事が取り組みの動機である。

実用に足る方式を考え、実践の中に時々と落とし込んでいく。

守備的投資

今年に入り世界的に金融市場は下落相場入りした。
これは充分に予測可能な状況であり、最早待望していた次期フェーズであった。
膨張した市場でチャートの高高度での取引は次第に短期化しており、各国政府の金融緩和の縮小が織り込まれていく中で価格下落は確実に訪れるべきモノであったし、寧ろ値上がり圏での取引よりも調整局面を迎えた方が健全な資産流動が行われると考えた。

そして実質的に緩やかに下落を開始した先月の市場は今後、ある程度の下落を繰り返しながら調整局面を過ごす事は間違い無いだろうが、その期間や部分的暴落の発生点などは予測できない。

そこで僕の投資戦略は去年までとは様変わりしたモノであったし、その手法の中で有用であると思われるモノとそうでないモノの明暗は既に分かれつつある。

それについてのレポートへの記述、それを追ってのコンテンツ化は今月の行動の中に確実に落とし込む。

ウクライナ情勢

ウクライナ情勢に関しては正直、日本世間の関心の低さに驚いている。ロシアは日本の隣国であり、その隣国の侵略に対して無関心でいる日本の現状に恐怖を覚えた。
しかし重要なのは、何故日本が国際情勢の無関心であるのか、という問いである。

国防に関する事柄について日本人の意識が低い事の問題点は度々取り沙汰されてきたが、その根本的に原因については僕自身もあまり深く考えてこなかった。

そこで僕自身は一つの仮説を立てた。
日本人は何故戦争が起こるのか、についてあまり考えないからである。
何故、日本がアメリカと戦争したのかについての見解すら持ち合わせていない日本人がとても多い。
酷い場合は日本が真珠湾を攻撃したから太平洋戦争になったという人がいるくらいの有様で、ABCD包囲網やハルノートの概要については勿論の事、欧米側が原因とする満州国の場所が何処かすら知らないのである。

つまり、何故戦争をしたのかを知らないのである。
またヨーロッパの戦争についても第一次世界大戦、第二次世界大戦の経緯もドイツの侵攻による物だとし、ドイツが何故侵攻したのか、についての見解も持たない。
その前後のロシアの動きについてや、イギリス、フランスの思惑についての見解も持っていない。

日本やドイツが攻撃したから戦争が始まったとしか思っていない。
今回のウクライナ情勢について考える事も出来る筈が無いと思える。つまり何故、戦争が起こるのか、についての考察が欠如した世論が形成されているが故に日本は国際情勢に対する意見を持たない。

根本的に何故、ロシアはシベリアという居住困難地域を大量に有した莫大な国土を有しているのか、という当事国の情報すら入手せずにプーチンがイケイケだから、くらいに考えていたりする。

僕自身は、この状況が台湾有事と深い関連性のある出来事だと感じ、ユーラシア大陸内の巨大国二国による人権侵害、領域侵犯には一連性と関連があると考え、西方諸国、極東諸国、中東諸国、アジア諸国の情勢や見解が今後、世界地図の分布を変える程に重要だと考えている。

日本経済

岸田政権の率いる日本政府には経済的危険性が大きく孕まれていると感じている。
2022年は米国のテーパリング、サプライチェーンのボトルネックの長期化、世界的スタグフレーションの懸念などから事業投資中心の資産運用プランを作成してきたのだが、その地盤足る日本経済の脆弱性は自身がコントロール可能な自前の事業投資の有効性を著しく低下させ、今年は期待値が異常に低かった筈の世界株投資をまさかのオーバーパフォームさせつつある。

既に僕自身は自身の事業の主要部門に金融資産運用を足したダブルコア体制で資産コントロールを行なっており、このダブルコアの内、どちらが資産の流動性を強化し、可能性追求の拡大を図れるか観察している。
去年は資産運用が事業成長率をオーバーパフォームし、今年は事業が金融資産運用を上回る予定であったが、残り11ヶ月で、この流れは大きく変わるかも知れないと感じるようになった。

僕の生活

今まで国防や政治についてあまり意見発信をしてこなかった。
述べる事はアベノミクスによって我々は成長できたのだという話と、2018年の消費増税が愚策であった事、オリンピック不況と到来やアフターコロナ前に日本政府は財政健全化を持ち出す懸念など、何方かといえば、ビジネスと投資の観点においての意志を持った事ばかりであった。

それは正直、各国の情勢が我々の生活に及ぼす直接影響が、そこまで大きくはないと踏んでいたからなのだが、バイデン政権の成立から随分と風色が変わった。
シェール規制が世界のエネルギーバランスを破壊した事によって、その是非に関わらず世界全体に大きな影響を与え始めた。

既に世界はアフターコロナの世界へ進出を始めている中で、各国の動きが慌ただしくなってきた。
日本の政治迷走は岸田政権発足により加速し、今になってブレグジットがイギリスを紛争の花咲爺的作用を取り戻す要因になり得る事を懸念させる。

そしてそれは極東情勢に強い影響を与え、日本国周辺の国際治安の不安定間に影響し、経済にも巨大な打撃を与える雰囲気が強まってきた。
まさに病人の頭をハンマーで殴るような事態であり、僕の生活は、その病人の細胞の一部である。

このような状況下にあって、僕自身は自身の影響領域に国家や国際情勢が入っていない事を噛み締めて、地に足をつけて暮らす重要性を感じている。

嵐が来そうであっても僕自身は嵐を消す事が出来ずに地上で暴風雨対策をする他無いのである。
インターネットを通じて多少のアプローチは可能かも知れないが、それは日本語文化圏のリテラシーレベルの地盤とした機能しか持たないので民間レベルでそれに強力に作用する事はないと考える。

それを考えるに、嵐を避ける事は非常に困難であり、嵐への備えをする事が僕の生活上の最優先事項となる事は間違いない。

僕自身は日本のプライマリーバランス視点の政策と貧困画一化政策に対する自社財務のコンプライアンスの強化とガバナンスシステムの構築、情報記述体制の強化、それらのコスト削減の為の自動化と情報群の巨大化と、その流動性の獲得が必要だと考えている。

このミッションは2022年の事業改革の大部分を占める事になるだろうと思う。
つまりはバックオフィスの強化がメインミッションとなり、営業戦略的手法や技術開発に投じるコストの上限引き下げが発生する懸念はほぼ確定的事柄になる。

つまり僕にとって2022年は防御防衛の年となる。
ただし防衛対象の情報的存在の確実性は未だに十分なモノとはいえず、その解像度を高める事に付随して、ある一定の成長性も無い方され、その部分は存在戦略としての成長戦略として高い優先度で実施されると予想する。

オミクロン感染拡大

国家防衛的視点と生活防衛的視点を持って生活をしていく意思決定がなされた状況に強い影響力をもたらす程、感染拡大率の高まった新型コロナウイルスに対して、僕なりの戦いを進めている。

オミクロン株の感染拡大は社会の流動性を強制的に低下させつつある。これは以前政府が行った人工の行動抑制ではなく、まさに感染拡大によって病人を増やし、社会の身動きそのものを悪くする状況である。

希少な技術者、医療従事者、意思決定者がオミクロン感染によってアビリティの発揮機会を失い、業務フローそのものに対し一時的な人員不足を発生させている。
僕自身が参加する建設市場においては物的サプライチェーンの混乱と人的サプライチェーンの混乱が同時展開され、また、社会の景気に先行する建設市場の縮小によって、人、モノ、金の全てのフローが悪くなりつつあり、これから年度末を迎えるにつれて時間要素すら枯渇する。

建設業は毎年、この時間コストの課題を突きつけられ、人、モノ、金で突破してきたのだが、現状は全てに無理が祟っており、これを酷環境下で突破すれば、さらに病が広がるといった状況に陥りつつある。

終わりに

国際情勢がきな臭い状態になり、オミクロン株が広まり、経済状況は芳しくない。
これが今の僕の周辺を取り巻く環境である。

僕自身がこの状況に対応する為のツールは
①事業
②投資
③情報
④思考ツール
⑤自分自身
である。

まずは自分自身というリソースを自分が所属するフロー防衛に使いつつ、自身の感染対策、財務健全化などを行い自己防衛を行なっていく。
変化対応に対するフットワークの強化も自身というリソースの活用の中に含まれる要素である。

事業は自身の活用の為のプラットフォームであると同時に自身と関連を持つ文化圏に貢献可能な枠組みである。
ここも本格的な防衛体制の確立が必要とされると同時に業務フローに対する貢献も必要とし、クリアでリーガルな運営が事業の本質化と変化対応が出来るだけの堅牢性を持ち合わせ、結果、これが柔軟性として発露すると考える。

投資に関しては防衛的ポートフォリオを形成するが、経済状況如何によってあ、これが生活防衛の有用要素に成りかねない。
常に堅牢な防衛意識を持って自身の資産運用を行なっていく必要がある。

情報発信は自身が考える事を出来るだけノンフィルターで記述、共有する様にしたい。
これは自身の思考や状況に関する事だけでなく、事業の会計情報なども記述共有していく。

思考ツールは自動化と要素追加に注力し、数学的知識と計算機的手法を強化する。

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