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夢見がちな嘘つきの体調不良に寄り添う

不燃ゴミがパンパンになり、不要書類はクリアファイルに詰められ机の上でたらい回しにされる。

仕事のプレッシャーが現実の仕事のフローとは違う居心地の悪い夢を見せて、起床時は偏頭痛を催す。
昨日浴びた耐火被覆の粉塵のせいで体の至る所の粘膜の調子が悪い気がする。


今日の予定を頭の中でさらいながらコーヒーを飲む。
不景気は営業マンと経営者の仕事を増やし、その両方を兼ねている僕をいたぶる。

大概の小規模事業者の経営者は営業を兼ねている。ので、不景気時に中小企業倒産が相次ぐのは、キャッシュフローの問題だとか、売り上げの低減だとか、そうゆう事だと思っていたけれど、もしかしたら経営者のバイタリティの問題なのかも知れない。


筋肉が軋む。
鉄骨を蹴り上げた足首の調子はほぼ解決したものの、肩周りの筋肉は崩壊的な性能不良を抱いたまま。

明日は明日の風が吹き、新型ウィルスと花粉を撒き散らし、無計画な屋外の設置物を倒壊させる。
ウイルスの話さえ無ければ、いつもの春の始まり。

そして、ウイルスにも慣れてソーシャルディスタンスという言葉によって守られた人との距離感はむしろ心地良い。

どうやら、僕の息の根はまだ止まりそうもない。
ただ無様に生き延びて見せるルートが開発されて、その状況の中をビッコ引きながら歩く道もあるのだろうと思う。

その状況の中での仕組み作りが課題を低減させ、活動範囲を広げながら内部崩壊しながら歩き回る生命体。
それが経営者としての僕の一つの見え方かも知れない。


僕の悩み事は大半が大袈裟な悲痛な祭りであり、それは現実化される事はない事を再度認知した上で日々の取り組みを整理していく。

苦痛と悲痛の中に創造的余白を捏造する作業員としての僕は決して優秀ではない。

新しい朝の気怠い憂鬱感を持つ幸福な男。

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